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たまらなくイライラする。それが成長のチャンスだということ。

以前、2歳から思春期までの子どもと関わる仕事をしていました。

子どもにとっては生活場所だったので、幼稚園や保育園、学校での「お外モード」の子ども達とはちょっと様子が違います。

家事をして、一緒に遊んで…
食う・寝る・暮らす。やっていることだけみたら家族のような立ち位置だけど、血縁関係はない。お給料もいただいている。

(どんな仕事かを話し出すと話がそれるので、気になってくださった方はこちらをご参照ください)

そんなちょっと変わったお仕事(あんまり仕事という感覚はなかったけど)の中で、私の性格はどんどん変化していきました。

もともと、穏やかな性格だといわれていたし、自分でもそう思っていたけれど、
子どもと関わる中で、喜び、悲しみ、楽しさ、怒りといったあらゆる感情が全部、過去最大のふり幅を記録し、私の性格に対する自己認識は「感受性が豊か」に変更。

(ジェットコースターのように振り回されておりました)


お楽しみ会で子どもの成長に感激したとき、

子どもが道路に飛び出していき(無事だったけれど)、叱りながら『無事でよかった』安心感から涙が出てきたとき、

子どもの過去の辛かった経験が垣間見えた場面で、一緒に辛くなってしまったとき

など、感情を揺り動かされるたびに色んな事を学んだとは思うんですが、
一番『成長の瞬間』だと思ったのは、


子どもの言動にめっちゃイライラしたとき

でした。

思い当たる例は山ほどあるんだけど、たとえば。

年度末に担当が替わって、これまで接してこなかった子どもたちと生活することになった時の話。

ご飯を作ったけど、ある子に「〇〇さん(前担当)のごはんのほうがおいしい。食べたくない」と全残しされる。

…イライラするんですよ。こっちは忙しい中、頑張って作ったのに、っていうか人と比べるなよ、もういいよじゃあ食べなくて…といろんな反論が頭を駆け巡ります。

キレることやしょげることは簡単ですが、既に色んな経験を積んでいて、ちょっとやそっとじゃへこたれなくなっていた私は、ここで目的に立ち返った。

私はなんのためにここにいるのか?
子どもにご飯を食べさせるため? 違わないけど本質じゃない。
子どもに口に合わないご飯でも『おいしい』と気をつかってもらうため? 違う。

私が(うちの施設が)やりたいことは、

色んな経験をして大変な思いをしてきた子どもたちと、一緒に生活して、なるべく幸せに暮らすこと。

生活の中で、いつか社会に出る子どもたちに対して、社会に出てから困らないようなルールを身に付けてもらうこと。


もちろん、親しき中にも礼儀ありだけど、まだ親しくもないし。

こちらが感情を荒立ててもなにもいいことがなさそうなので、落ち着いて、なんでこんなことになっちゃったのか考える。





(なんで自分はこんなにイライラするのか?)
・ご飯を食べないという、反抗をされていることに対する焦り。
・「〇〇さん(前担当)のほうがいい」という言葉に傷つき劣等感を感じている。
・自分の努力(夕食づくり)が無駄になったことへの怒り。




(どうして食べてくれないのだろう?)
・大人の都合で担当が替わって、知らない人と生活するの嫌だろうなぁ…
・私がまだ子どもの味の好みを理解していない。
・「気を遣う」とかいう社会性はまだ身についていないか、ここでは発揮されない
・〇〇さん(元担当)料理上手だから、実際、多分これまでより味が美味しくない

そしてこんなことを学ぶわけです。

・担当が替わるって、食事も変わってしまうことなんだ。子どもにとっては負担が大きいだろうな。

・ただ作るんじゃなくて、コミュニケーション取りながら、好きな味付けとか聞いてみればよかったな。

・今までは文句を言わずに食べてくれてたけど、そこに甘えずに美味しく作れるような工夫をしないとなぁ…。

・もし外でもあんな態度をとっているようだったら、相手が嫌な気持ちになるから損するよってことを伝えないとな。学校の様子や他の子への態度も気を付けてみてみよう。元担当にも聞いてみよう。

こんなことを繰り返していると、だんだんと
「イライラさせてくれてありがとう」じゃないけど、
ぶつかってきてくれてありがとう!と思うようになります。

一人で考えているときは、気を付けているつもりでも、やっぱり「つもり」であって、
子どもとぶつかって、すごーくイライラしたときにこそ、発見があって、自分を変える努力が出来たり、前に進めたな、と。振り返るとそう思います。

おかげさまで、今もイライラすることがあると、「おっと」と立ち止まって、なんで?どうして?どうしたらいい?と考える癖がついています。

もちろんイライラすることは好きではないので、頻度は多くないほうがありがたいですが、

相手がいて、自分の気づいていないことに気が付かせてくれること。
『ほらー、気づいて?』というサインとしてのイライラは、悪いだけではないのかなと、子ども達のパワーあふれる体当たりのおかげで、知ったのでした。

🌻おまけ:いらいらしたことコレクション

・レゴを踏んづけてものすごい痛みに襲われた上に、子どもに「踏まないで」と言われる
・子どものおもらし+激しい寝相により、一緒に寝ていた私の髪の毛がびしょびしょ
・子どもと入浴中『お姉さんは、おっぱい、ないの?』と聞かれる。

特に学びのない、傷つくだけのイライラもある。

#一人じゃ気づけなかったこと

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