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多くのジャズピアニストが抱える悩み【特集号】

先日「ジャズピアニストが私にとって天職な5つの理由」という記事を投稿したが、勿論ジャズピアニストという仕事をやっていて辛いことも多々ある。今日は多くの(少なくとも私は抱えている)ジャズピアニストが抱える苦悩をここで代弁させてもらいたい。

職業ジャズミュージシャンとしての悩みは人それぞれだが、一番多くの人が抱えている悩みは(←勝手に思っている)自分の音楽にかける情熱や、技術的な成長が経済的な成功や社会的認知度に直結しないことだと思う。

これまで自分は、(自称・真の)芸術家の考えを持ってピアノを弾いてきたような気がする。(いや、単にプライドが高いだけか(・_・;) 私がこの職業をやっていて幸せに感じるのは、練習によって自分が音楽的に成長していると感じる時、ピアノが上達し、それまで聞こえていなかった和声やフレーズが聞こえる事で、新たな世界が見える瞬間である。技術を習得し理論を熟知した者だけしかアクセスが出来ないような高尚な音楽を分析したり、作品の良さを知ることで、優越感に浸る事もある。経済的な成功は一番の幸せではないのである。

芸術とは、突き詰めるところ、人間の知性・創造性への挑戦だと思っている。これまでになかった概念やスタイルを打ち出し、自己表現を通じて社会にメッセージを発信するのが芸術家だと思う。これは、非常にシビアな世界だと思う。2020年、そしてこれから先の時代に、私は何か違った概念、驚きや発見をリスナーに提示する事が出来るだろうか?私のピアニストとしての存在意義はなんだろう?先人の偉大な音楽家、ジャズミュージシャンを前にあまりにも無力な自分の存在を思い知る。せめてジャズの歴史、いや日本ジャズ史、いや埼玉県春日部市のジャズピアノ史に爪痕を残したい。

頭の中はそれを達成するための練習と将来の自分像でいっぱいだ。(あと女の裸の事もよく考える。)そこに、来月のアパートの家賃をどうしようとか、携帯代金と食費は今月は高くなったなと考える余裕はない。もっと言えば、どうやったらもっと収入を増やせるか、どういったプロモーションで自分を売り出そうか、どこのメディアに露出しようとか考える余裕があったら音楽にその時間と情熱を注ぎたい。それが芸術家というものだと思う。

勿論、今の時代、生活していく上でこういった事を考えるのは必至だ。しかし自分には、芸術に取り組む労力を他の事にも費やすのは、仕事を2つも3つも掛け持ちするようなものである。私は有名にはなりたいし、お金も沢山あることに越したことはないと思っている。しかし今のジャズミュージシャンと呼ばれる人々は、本業に加え、マネージメント(市場戦略、人脈づくり、メディアへの露出)等、やる事があまりにも多い気がする。芸術家の中には商売上手な人もいて音楽活動とプロモーション両方を上手にこなす人もいる。しかし、自分には向いていない。

私も面倒な人間で、じゃあ貧乏でも音楽さえあれば生きていけるとは言い難く、将来的には、余裕のある生活、もっと欲を言うと、若い女がおっさんになった時に寄って来るくらいの財力をつけたいと思っている。そのためにはどうすれば良いのか?答えは商売上手なミュージシャンになるか、【超】一流のミュージシャンになるかの二択だと思っている。

前者を別に蔑んでいするわけでもない。それも能力の一つだろう。売れるミュージシャンというのは演奏・練習以外にも相当な努力をしている。ジャムセッションや、先輩のミュージシャンのライブに頻繁に顔を出し、もらった仕事を上手にこなし、終演後の飲み会や食事に誘われても行く。コミューニケーションが上手に取れて、色々なミュージシャンから好かれるのである。私のように突出して上手くもないコミュ症は本当に苦労する。以前、品川のとあるレストランで、演奏した時に、その日たまたま大御所のスタジオミュージシャンが食事をしに寄ったそうだ。後でその事をお店関係者から聞いた。私は終演後に、彼らにお酒を進められたが、お酒が弱いのと早く帰りたかったので断った。するとバーテンのオジサンに、彼らを誰だと思っているんだ!!と怒鳴られ、頭をガツンと殴られたことがある。

SSNも私は非常に苦手だ。最近の若いミュージシャンはTwiiterやインスタグラムを上手に使って、ジャズ界で上手にやっているように思える。私も試しにTwitterを3ヶ月前に始めてみたが、一向にフォロワー数が伸びない。最初は音楽について真面目に呟いていたが、そのうち何も反応がなくなったのと、面倒くさくなってシモネタを連発してたところ、お情けでフォローしてくれていた女性ミュージシャンが離脱していく始末である。

考えてみれば、音楽家が自分のキャリアを考えるようになったのは最近のことである。クラシック音楽でも、バロック時代は教会、古典派は貴族、ロマン派の時代はパトロンがいたものである。私もリッチな貴婦人の為にピアノを練習する身分になりたい。

最初の話に戻ろう。プロモーション能力が絶望的に低い私、音楽に情熱だけを注ぎたい私が、経済的に成功したいのであれば、人一倍努力して【超】一流になることであろう。しかし【自分の音楽にかける情熱や、技術的な成長が経済的な成功や社会的認知度に直結しない】ばかりか、逆比例する事が音楽の世界ではありえるのだ。

スポーツやビジネスの世界では考えられないだろう。例えば、一生懸命練習をして、短距離走で早く走れるようになった、ホームランを量産するようになった、営業で販売件数を伸ばした、これは本人の努力によって導かれた結果である。努力→結果→出世→年収アップにつながるのは言うまでもないだろう。

しかし音楽はそうはいかない。バッハを考えてみてほしい。
彼は生涯に1000曲以上の曲を残している。コラールのような小品集もあるが室内楽曲、管弦楽曲も多数書いている。バッハの寿命を考えると毎週1曲は作品を発表したような驚異的なペースだろう。車がない時代に、勉強のために隣町まで何日も歩いてコンサートを聞きに行って勉強したと言われる努力家である。西洋音楽史の父とも称されるバッハですら、メンデルスゾーンが彼の功績を讃えなければ、音楽史の闇に葬られていた可能性だってある。当時のバッハのポリフォニーがあまりにも急進的だったにかもしれない。

ジャズでも同じことが言える。本質を極めようとすると、リズム、グルーブ、アンサンブルコンセプト、フレージングを深く研究するようになり、非常にアカデミックな音楽になることもある。(私はオスカー・ピーターソンが好きだが、バド・パウエルやバリー・ハリスがアカデミックに聞こえる時がある)

むしろ芸術性を高めれば高めるほど時には大衆から理解されなくなるかもしれないのだ。そして不思議な事に、ジャズを1年かじっただけの素人ジャズの方が売れるという現象がおこる。簡単なドミソと言う和音にシとレを足してテンション7thと9th〜!きゃーおしゃれ!アダルトビデオのBGMのようなポンニチのいかがわしいインチキスイング(←言い過ぎ?反省!!)が素人には心地よく聞こえるのだ。

具体例をあげよう。これは誹謗中傷ではなく、大衆の9割が歴史に名を残す偉大なジャズピアニストの演奏よりも、なんちゃってカクテルジャズに興味を示すという例を提示するべく、2つの動画を載せる。

Marian Petrescu ルーマニア出身、フィンランド在住のピアニスト。おそらくルーマニアが共産圏だった時に亡命したのだろう。ソビエト時代のオリンピック選手を彷彿させるような、ソビエト仕込の末恐ろしいピアノテクニック。世界でも3本の指に入る、オスカー・ピーターソンの再来とも言われる、超絶ピアニストである。彼のYoutubeチャンネルが見つからない。見つかったのは彼の名前のアカウントだけである。登録者わずか97人。

対してJohnny氏。彼のピアノはお世辞にもあまり上手とは言えないが、登録者は13万人を超える。多くのジャズ初心者、学習者は、こういったチャンネルに親しみを持つのだ。
上のジャズピアノレッスン動画を誹謗中傷しているのではない。あくまでも大衆は何を求めているのかという一例だ。

芸術を極め、生活に不自由するのか。
大衆に迎合し、経済的に成功するのか。

多くのジャズミュージシャン・芸術家はこのバランスをどのように取るか今日も模索するのである。

【完】


ジャズピアニスト 二見勇気
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