見出し画像

月とヘリンボーン

「なんで、そんなこと知ってるの?」
母はちょっとの間、考え込んだあとで、ぎょっとした顔で私を見た。
「いや、見てたの。それを覚えてるだけ」。
「よしひろが私のお腹にまだいたから、9月だったかしらね。その人、お父さんの異母兄弟で、東北大学の研究室にいるって言ってた」

2歳にもなっていない赤ん坊の私は、出窓の木製の欄干のうえに乗せられて、外の空気を吸っていた。
少し先の道ばたに低い木の電柱が少し傾いて立っていて、その右上には上ったばかりのオレンジ色がかったまんまるな月がやわらかそうに輝いている。

視線をぐるっと家のなかに戻すと、薄暗い玄関の土間に知らない男の人が立っている。黒いタートルネック、角刈りのごま塩あたま。ヘリンボーンのしっかりしたジャケットを着て直立不動だ。
タートルネックもごま塩あたまも、ヘリンボーンも、もちろん大人になってから言葉にできただけで、当時は頭の中の映像だけだった。

「お母さんはご健在ですか?って聞かれたのよ。お母さんて、ウチのおばあちゃんのこと。もうとっくに亡くなっていたんだけどね。おばあちゃんに最初の結婚のときの男の子がいたって聞いたことはあったんだけど、あまりに突然でどうしようかと思った」。

その日は、父が宿直で不在だった。母は隣の家で電話を借りて仕事中の父に「異母兄弟の人が訪ねてきたから早く帰って来て」と頼んだそうだ。父は同僚に宿直を代ってもらって帰宅すると自分の兄にあたるその人と話をしたという。

ヘリンボーンの男性の話を私が急に思いだして母に聞いたのは、30歳をとっくに過ぎて父が亡くなってからだ。その日のことを父に聞く機会は残念ながらもうなかった。ただ、父が仕事を放りだして帰ってくるくらいだから、絶対に会わないといけない人だったことは確かだ。

祖母は仙台から東京に出てきたし、その人は仙台に残されたらしい。突然我が家に現れた当時、東北新幹線がまだなかったから仙台から東京の郊外まで来て、新婚時代にうちの両親が住んでいた家に一度行っただろう。引っ越し先を近所で教わって我が家に訪ねてきたはずだ。

子供のころ母親と離ればなれになって、大人になってから東京まで会いに来たのに、実母はもう亡くなっていた。私の父は優しい人だったから充分話をしたに違いないが、父が何を話したのか、彼がどんな思いで帰って行ったのか知る由もない。

母の認知症が進む前に、そのときのことを聞いておけばよかった、と実は後悔している。私はその人と自分の血がつながっていることに最近になって気が付いた。30代前半でその人が父の異母兄弟だと聞いた当時は何とも思わなかった。

自分が還暦を過ぎて、親や親せきが次々あちら側へ旅経つようになってから、もう会えない人が増えていくのは寂しいなあと思うようになった。あのヘリンボーンの男性のことも父に聞けなかったにしても、母に聞いておけばよかった。今よりは少しでも知っておきたかった。

先週のお月見の晩、コンビニに行く途中で月を見た。満月を見るとその人がヘリンボーンのジャケットを着て玄関の土間につっ立っていた姿を思いだす。
まだご健在かな?もし生きていても100歳近いだろう。もういないかもしれない。そんなことさえ分からない遠い存在にしてしまったのは私にも責任があるような気がする。

#2024創作大賞 #エッセイ部門


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?