大学4年生の分岐点「私だったかもしれない人」
飼っているインコがご縁で知り合ったオリエさんは駐妻だ。駐在員の妻を略して駐妻。私の世代だと、短大を出て人気の商社に就職して、職場結婚。
旦那さんが海外駐在になって、家族として世界各国で暮らす。それにあこがれる人も少なくなかった。
オリエさんも学校を卒業して商社に入り、職場結婚した。旦那さんの定年退職間近まで、アメリカ大陸、ヨーロッパで暮らした。さまざまな国のお料理が上手で、とくに東南アジア系が得意だ。すでに社会人になった一人娘のルリコさんを大切にしていて、友達親子のふたりは海外旅行も、スーパー温泉も、ゴルフ教室も一緒。
オリエさんとは5年の友達付き合いになるが、実は内緒にしていることがある。私が商社に就職しなかったのはなぜかという話だ。
大学4年生の時、当時付き合っていたような感じのボーイフレンドは商社に勤めている大学の2つ先輩だった。「付き合っている」という定義が何を指すのか当時はよくわからなかったが、たびたび日帰りでドライブに連れて行ってくれた。帰りに私の家の前まで送ってくれた時、トイレの窓からのぞいていた父が「彼はよさそうな人だと思う。おまえさんと結婚したいんじゃないか?」と言ったことがある。
そんな彼が私の就活の時に言った。「あんたは商社に行ったらイカン。グループセクレタリーになって、職場結婚して、社会人としてはそこで終わる。あんたはもっと伸びる人だ」。そんなオキマリの道があるのかとびっくりして商社は求人があっても受けなかった。
その彼とは私から去った。あるとき「最近忙しいんだよね」と電話でつれない態度だったのが気に障った。忙しいのが偉いのか?と思ったが、今になって振り返ると社会人3年目くらいで、自分が上から認められていると暗に私に自慢したかったのかもしれない。
若かった私は「私より仕事が大事で、ないがしろにするのが偉いと思っているのか?」と今思うと短絡的に受け止めた。
私自身は文章を書くのが好きで、ネットが発達する前の当時は大企業に就職して広報室の仕事、書いて発信する仕事がしたかった。大きな会社に入ったが配属先は人事の教育担当だった。おかげさまでその仕事が大いに気に入り、社会人を育てる仕事は個人事業に切り替わった今も40年以上続いている。
オリエさんは駐妻の道を行った典型のように私には思えるが、そのことを本人には言わない。あなたの来た道は、私が避けた道だなんて、失礼だと思うから。とはいえ、私は駐妻を見下しているわけではない。自分には向いていなかったと思っている。それに彼女は私にとって大切な、愛すべき友達だ。私の飼い鳥のことも親身に心配してくれる。私が入院でもしたら「鳥は遠慮なく私に預けて」と言ってくれる。コロナの時も私が隔離されたらどうやって鳥を受け渡しするかも決めてあった。
うちに来るときは手作りの美味しいパンを焼いてきてくれる。私も料理は好きだから、私が商社に入社していたら駐妻を経てオリエさんになっていたかもしれない。
去年の12月のある日、私はひいきの噺家の独演会を聴きに
「なかのZERO」に行った。着いてから少し時間にゆとりがあった。座席に深く腰掛けて周りを見回す。右前方を見たとき、私の目が釘付けになった。『きぬけごはん』の文字。すぐ右前方の人がいわゆる校正刷りを手にして赤入れをしている。編集者の人。出版社の人。『きぬけごはん』は私が今も読んでいる隔月刊の雑誌の連載コラムのタイトルだ。
実は私はその雑誌を小学校4年生の夏休みに読み始めた。初めて読んだ記事が「みかん水狂騒曲」だったのを特集ページの扉の写真と共に鮮明に覚えている。当時の市販のいわゆる「ジュース」は着色水が多い。という成分分析の記事だった。それ以降、世の中では果汁100%のものだけジュースという名称が許されるようになったようだ。画期的な記事だった。
大学4年生の就活の時、その出版社に電話した。ひとこと、「今年は学卒の採用はありません」と言われた。残念だなと思いながらも素直にあきらめた。
翌年の春、卒業式が間近になって、その出版社に自分の大学から2人の入社が決まったという話を聞いた。あろうことか同じサークルの同級生2人だった。ショックだった。わたしにはチャンスが与えられなかったのに、なぜあの2人は入社できたのだろうか?今なら想像がつく。教授のコネでもあったのだろう。
話を右前の座席の人に戻す。
その人に話しかけようかどうしようかドキドキしていた。でもなぜ話しかけたいのか、何を話したいのかわからなかった。アルバイトとしての働き口があるか聞くのか?いや、そんなことじゃない。では自分の就活の時に御社を諦めました、と言いたいのか。いや、それも違う。
落語が終わって、ホールから通路に出た。彼女は私より5メートルくらい先の階段を下りて行く。同じ噺家が好き。私と同じような背格好。後ろ姿が私と同じ、うなじを借り上げたショートカットの髪型。自分と同じブルー系のコートに白のボトム、水色のトートバッグ。彼女が私でもおかしくない気がした。
もしかしたら彼女は私とは別の人生を生きて来たもう一人の私なのかもしれない。大学4年生のあの日、電話で「採用はありません」と言われて、はいそうですか、と諦めなかったら私は彼女だったかもしれない。
駐妻のオリエさんにしろ、その夜見かけた編集者さんにしろ、もしかしたら私だったかもしれない、と思えてしまう人に立て続けに出会った私は、これから何ができるかな?と残りの時間の使い方を考えている。
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