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どうやって本と出会うのか

どうやって本と出会うのか。
書店や図書館、古書店、オンラインサロン。本にまつわる様々な場所をこの数週間めぐることがあったので、その足跡を記して、かつて親しんだ本から遠ざかった40代の私がこれから「どうやって本と出会うのか」を考えた。

本と本屋さんが好きだった。
読書家というほどではないけど、10代から20代のころは本屋さんに入り浸り、一人で本棚の間をウロウロするのが楽しかった。主に読んでいたのは小説。あと新書。漫画も。立ち読み中よくトイレに行きたくなった。ある本屋は店の奥の本棚と本棚の間にトイレがあり、用を足してもまた本棚の間に戻ってしまう。永遠に抜け出せないじゃん!と、それはそれで嬉しかった。
30代中ごろ。本屋さんになりたいと思ったこともある。
近所の古書店に「働かせてください!」と話したら、雇うことはできないけど、と言われ、古本市を紹介された。古本市にスタッフとして、出店者として参加した。

そんなゆるっとした本と私の関係はいつ途絶えたんだろう? 振り返ると、2011年。東日本大震災が起きて、東北の活動に出かけているうちに私は本から遠ざかっていった。収入が減って本を自由に買えないという事情もあったのかもしれない。東北の風景を肉眼で見て、人の肉声を聞いて活動してた時は、「書を捨てよ、町へ出よう」て、こういうことかな、と思ってもいた。だけど、捨てなくていいじゃん。むしろ本持って出かけりゃ良かったじゃん、と今は心底思う。
それに、私の脳みそでは、どれだけ貴重な経験や出会いを重ねても、思考は深められなかったということも今、痛いほど私は痛感している。ああ、頭痛が痛い。

「どうして書かずにはいられないのか? その理由ははっきりしている。何かについて考えるためには、ひとまずその何かを文章にしてみる必要があるからだ。」(村上春樹「スプートニクの恋人」より)
になぞらえるなら、
「どうして読まずにはいられないのか? その理由ははっきりしている。何かについて考えるためには、ひとまずその何かの文章を読んでみる必要があるからだ。」
といったところか。読むことと文章を書くこととは同義。と、ここで無理やりの仮説を立てて、私はこのコロナ下の秋に、本読みを復活させたいと願った。

そう思い立ったのは、ネットの記事にしろ新聞記事にしろ、長い文章を読めなくなっている自分に危機感を覚えたからでもある。しかし私が町の本屋から離れている間に、本を手にする環境は変わっていた。

「働かせてください」と押しかけた古本屋さんは閉店した。いくつかの新聞は書評を載せる曜日を日曜から土曜に移した。そもそも新聞を読まなくなった。カズオ・イシグロがノーベル賞を受賞し、村上春樹がラジオを始めた。電子書籍で買うようになったので漫画を友だちに貸せなくなった。本じゃないものを売り、椅子を置く書店が増えた。ライターをしている年下の友人に「紙の媒体は読まないことにしてるの」と言われて衝撃を受けた。私自身は引っ越しをして何冊か本を手放した。私は40代になった。

さて、どうしよう。とにかく、書を求めて、町へ出よう。

2020年11月。徒歩圏内にある新書店に向かった。子ども向けの雑誌や絵本が並ぶアットホームな雰囲気と、選りすぐりの文脈棚が入り交じる、老舗の独立系書店だ。紀伊国屋書店の人文書ランキングをネットで見て気になっていた本を探した。面積はさほどない書店だ。本も昨年の刊行だし。その本はおいてなかった。諦めて店を出て、ターミナル駅にある書店で本を手に入れた。町の書店との付き合いは通い詰めないと難しいかもしれない。

翌週、オンラインサロンでの読書会の課題図書を借りに大きな図書館に向かった。歩き疲れた私は他の本を探す元気はなかったけれど、不要になった蔵書をリサイクルするワゴンがあったのでじっと眺めた。様々なジャンルが凝縮されていた。ブルーインパルスを特集した雑誌と、ゲートボールのハウツー本の2冊を持ち帰った。私の知らない世界……。
帰る途中、徒歩圏内の古書店に寄った。半年ぶりだった。古い「暮らしの手帖」や地方のZINEなどを見ていると、あっ、文庫本買おう、と思いつく。最近うちにある文庫の表紙の絵に、映画「モリのいるところ」でも有名になった画家の熊谷守一やら、齢90を超える絵本作家、安野光雅が使われていることに気づいたので文庫本を集めたくなったのだ。それを家に飾って眺めたい。これは図書館や新装版が並ぶ新刊書店ではできない楽しみだ。文庫本のコーナーで棚から取り出しては表紙をチェック、と繰り返していたら、ぎゅうぎゅうに詰まった本棚の並びに、柳美里「JR上野駅公園口」の背表紙を見つけた。最近、全米図書賞に選ばれて話題になった小説だ。思わず、「あっ」と声をあげた。会計に出すと、「これ、『読みたいな』て話してたんですけど、(うちの店に)あったんですね」と店の人も驚いていて、2人で笑った。

その週末。友人に誘われて神奈川県・真鶴半島を訪れた。ここ最近、真鶴町には移住する若い人たちが多いらしい。特に、泊まれる出版社「真鶴出版」は、真鶴の風景を描いたカレンダーを出したり、宿泊する人に向けた街歩きツアーをしたりと面白い。町内にも来訪者にも接続点を持っている。街歩きでは、独特の小道「背戸道(せとみち)」を通って、美容院や井戸、医療施設などを巡りながら、町の様子を知る。半島に有機的に張り巡らされた小道を歩く自分たちが、まるで岩を這う蟻になったような気分だ。途中、自宅の前に箱を置いて本とレゴを同時に売るという人に出会った。真鶴出版さんも当然顔見知り。箱の中に、川上弘美「真鶴」を見つけて友人が購入した。宿に帰ってからは、食事をしたりシャワーを浴びたりしたあと、各々、宿にある本棚の本を自由にとって眺めていた。私も1冊、雑誌をとって、眠くなるまで読んでいた。紹介されていた本屋をメモしたので、来週行こうと思っている。
真鶴に誘われた時、私は自分の部屋の本棚を探って、志賀直哉「小僧の神様・城の崎にて」の文庫本を見つけ出していた。「真鶴」という話が載っているのを思い出したからだ。教科書に載っていた「城の崎にて」より短い。男の子の兄弟が海の見える真鶴を夕暮れ歩いている、そんな情景が浮かび、胸がきゅうっとなるような小説だ。行きの電車ですぐ読み終えたので、友だちに貸して宿を出た。

改めて本好きの同級生に聞いてみると、古本はAmazonか楽天、新刊はリアル書店で買うことが多いそうだ。書店に足を運ぶのは、「出版社が大変だと聞いたので、応援の意味を込めて」とのこと。そして「田舎の図書館は蔵書が充実してない」とも。最近は、宮部みゆきの「三島屋変調百物語」シリーズが面白いって。以上、LINEのメッセージを通じての会話だ。

ひとまずの着地点。
本屋や図書館へ、その本があるかどうか調べずに行くというのは時間の使い方からしてなかなかできるもんでもない。でも、インターネットの波を泳ぐにしろ、本屋さんで本棚の間を泳ぐにしろ、目的とは違う出会い、はまだまだ期待できる。そして、面白い本に出会えそう、という期待は、本と本の情報に接すれば接するほど増えていく。友だちとの会話も(LINEだけど)弾む。今からまた書店に行くのが楽しみだ。
#PLANETSSchool #本屋

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