さよならGoodbye #1
第一章 一人暮らし
彼の東京での生活は、杉並区 新高円寺で始まった。
田島 晃 22才 関西の大学を何とか留年する事もなく卒業出来る事になったのは良かったのだが、あいにくの就職氷河期にあたり、就職先はなかなか決まらなかった。40社を超える会社を受けまくり、そして落とされまくった。
やっと旅行用品を販売する会社から内定をもらった時は、もう桜が咲く季節になっていた、、、
「はい、アパートは新高円寺に見つけました。来週からお世話になります。どうぞ宜しくお願いします。」
「新高円寺ですか?住みやすい良い町ですよ」
「そうなんですか?ありがとうございます。」
それが、旅行用品販売会社 『トリップ ワン』の人事部 安野由美との最初の会話だった。
安野由美の優しい声が忘れられず、それから彼は、人事部になんやらかんやら用事を作っては彼女との接点を作ろうと試みた。彼にとってのマドンナだった。寝ても覚めても彼女の事が頭から離れなかった。
そんな彼のアパートは、丸の内線の新高円寺駅を降り、青梅街道を新宿方面に少し歩き五日市街道を永福町方面に少し下った、華徳院と言うお寺の隣にあった。
そのアパートの名前は『すみれ荘』と言い築年数は
かなり経っていると思われた、、、
そう典型的な昭和のアパートだった。
家賃は、当時4万円弱で非常にお手軽な物件だった。すみれ荘は、二階建てのアパートで、背中合わせにA棟とB棟があったのだが、彼の部屋は、A棟の一階の一番奥の部屋だった。
「うん、やっと片付いた。まぁそんなに荷物がある訳やないから、電話またするわ」
彼の母親からの電話だった。一人息子の晃から初めて別々に暮らす事になって彼の母親もこれまでに感じた事のない寂しさを感じていたのだろう。
電話を切った後、彼はベッドに背中をつけ天井を見上げた。彼の部屋は6畳もなかったんじゃないか思われベッドが部屋の大部分を占めていた。
ベッドの横には出窓があって、彼はそこに当時最新鋭のステレオを置いていた。レコードプレーヤーがボタン一つで飛び出してくると言う斬新な作りになっていた、そのステレオの両側には、お気に入りのLPレコードがぎっしり並んでいた。
そして部屋の真ん中には、縦横50センチ位のガラスのテーブルを置いていた。
彼はテーブルの上のゴロワーズ( ハードボイルドに憧れる彼は、この両切りのフランスタバコを無理無理吸っていたのだ。)に火をつけ深く吸い込んだ。頭がクラクラしたが、彼はこの感覚が好きだった。
そして、次になにやら独り言を言いながら出窓に並ぶLPレコードを物色し始めた。ジャンル別に分けられたレコードは、左から環境音楽、プログレッシブロック、ハードロック、フォークロックと大まかに分けられていた。
そして彼は、一番左端のブライアンイーノのアンビエント1を取り出しボタン一つで自動的に迫り出してくるレコードプレーヤーにかけた。
深い深い海の底を浮遊している様な独特の音楽を聴いていると魂が体を抜け出してしまった様な感じがした。彼はベッド横のジャックダニエルを手に取ると、一気にラッパ飲みした。
さらに彼はより高みに登る為に、ビニール袋にボンドを大量に入れてそれを深く吸い込んだ。
一瞬、意識が飛んで危険な領域に自分が自分を追いやっていると明確に身体が反応した。
部屋にはゴロワーズの匂いとボンドの匂いが混じり合ってイーノの音楽と融合していた。
時計は、深夜1時を回っていた。
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