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生きながら創作活動しているみたい


芸術家だからしょうがないですね。


言葉にすると、とても淡白に見えるけれど、この言葉に温度をのせられていないことが少し悔しいけれど、わたしはこの言葉に救われた。

そっか、しょうがないのかと。

今朝も、R25の記事を読んで、加点方式でいなきゃ、減点法で捉えてしまう自分の思考の癖を直さなきゃってどこかで縛られていたけれど、「よりよくしたい」と思う創造の世界を生きる生き物だから、減点方式で捉えてしまうことは、もう仕方のないものだと思えた。

もちろん、できないことに目が向くことで、生きづらい部分もある。もっと楽天的に、ポジティブに、こんな自分もOK!って軽やかに進めたら良いなと思う時もある。加点方式の思考を持つことも大切だけれども、よりよくしていきたいその先に見える景色も見てみたくて、自分に鞭を打っている時もある。それは自分が望んでいる時なのかもしれない。


もう、誰かの人生に刻まれていると思うので、安心していいんじゃないですか?


今日、はじめて宮本さんにコーチングセッションをお願いした。自分がZaPASSの存在を教えてくれたしゅんしゅんさんのコーチであること、そして、ZaPASSのコーチング養成講座中にメンターになった岡田さんにも、「ゆうこさん、宮本さん合うと思う」って教えてもらっていた。確かに、宮本さんの経歴を見ると、とっても気になるフレーズがあった。

即興役者


コーチングを学ぶ中で、コーチングセッションは即興だなと思っている。わかりやすい言葉では伝えられづらくてもどかしいのだけれど、あるがままを捉えて、その時のその人の感情を感じて、用意した言葉は一切なくて、アドリブで、そのときに感じた違和感や、温度で、言葉のボールをお渡ししてる感覚。

感覚の話でしかなくて、分かり合える人はそんなに多くはないだろうなと思っていたけれど、そんな話を冒頭から相談していた。わたしも、大学でインプロ (即興演劇)を学んでいたことがあるからだ。


セッションの時間って、ハーモニーが重なって、最後クライアントの独演奏を綺麗に奏でられるように後押しするのが役割なのかなって思っているんですよね。不安だったら、重なり合うオトでハーモニーを奏でられるように精一杯目の前の人の呼吸と息遣いとオトの音色を感じている。その中で、急にクライアント自身が、アドリブでオトでありコトバを紡げる瞬間があって、それが最後クライマックスで到達する瞬間が、とても心地良くて、そのオト(コトバ)を聴けた瞬間、コーチングやっててよかったなって思うんですよね。


そんな話をしていたときに


ゆうこさんは、体感覚で感じているんですね


って教えてもらった。


わたし自身、対話を通じて、自分で最後はコトバを紡いでハッとさせられる境地に連れてってくれた人の存在があり、経験をしている。だからこそコーチとしても、セッションを通じて一つの曲を奏でられるように、後押しできたらうれしいなと思って、コーチングを学んでいた。


学ぶ中で、いろいろな気づきもあったけれど、知識だけじゃないなという違和感がどんどん募っていった。知識は最低限必要だけれど、知識の次元ではないのだと思う。


非言語の部分をどれだけ察せられるかが大切


これは、メンターの岡田さんから教えてもらったコトバだけれど、その瞬間に、わたしは非言語を感じることができる方なのだと思った。


目線・視線の動きには敏感な方だと思う。そして、発しているコトバを、オトとしてと捉えているのだと思う。無意識だったけれど、ずっと音楽と向き合ってきたことが、急に発揮されているのかもしれない。


マニアックだけれども、コーチングセッションをしているときに感じていることは、急にマイナー調になったなとか、マイナーなオトづかいだったけれど、急にメジャーに転調したなとか、16分休符だったけれど、急に2小節は4分休符続いているなぁ、スピードが変わったなぁ〜、BPMが変わったなぁ〜Allegroだったけれど、Andanteくらいになったなぁ〜みたいなことを、たぶん勝手に感じ取りながら、セッションをしているんだと思う。


これはもう知識ではなくて、クライアントをいかに見つめて、発せられるものを感じ取っているかの次元の話なのかもしれない。


よくいう「湖畔」なのかもしれないけれど、どうやって湖畔になっているのか?と聞かれたら、純粋にその人のことを知りたいという想いなのかもしれない。エゴかもしれない。引っ張るのはよくないとは思ってはいるけれど、全身で感じながら、感じたことを伝えたり、何か自分にできることはないかと考えてしまう。


アドバイスやフィードバックはあまりいらないと言われているコーチングの世界かもしれないけれど、自分の視点のアドバイスを求めてくれている人がいるからこそ、わたしはコーチングセッションをしている時もある。介在価値を感じたい生き物だから、自分だからこそのセッショができたらうれしいなと思って生きている。



先週と昨日、しゅんしゅんさんにコーチングセッションをしてもらったとき、わたしは、人の人生に刻まれたい欲が高いことに気づけた。

その一つが曲の詩。スガシカオさんの歌詞に励まされたからこそ、そんなような曲を作りたいと思っている。だからといって、今から作詞家になるので、会社辞めます!とは思わない。

仕事をしている、ビジネスの世界に身を置いているからこそ、自分だからこそ紡げるコトバがあると信じているから。そして、生身の自分が感じたコトバじゃないと、どこか嘘っぽく自分自身が聞こえてしまうから、難しいんだと思う。


周りの人にポジティブな影響を与え続けられる人間になりたい。そして自分の言葉で誰かの背中を押せる一言を生み出したい。


これは、転職活動noteで最後に描いたフレーズだけれど、自分の人生で成し遂げたいことは、ここにたどりつく。だけれど、どうやったら作詞の境地にたどり着けるかはわからない。だから、やるべきことを洗い出すようなセッションの時間になるのかな、とも思っていた。


今日宮本さんに「もう、誰かの人生に刻まれていると思うので、安心していいんじゃないですか?」と教えてもらったときに、じわっととても胸が温かくなって、泣きそうになった。


誰かに言われて、傷つく言葉もある。あなたにそんなこと言われたくないよ、って瞬間を味わってきたこともある。なのに今日初めてお話しした宮本さんに言われて、とても救われた。


そっか、と、そうなのだ、と。


実際、わたしが休職したときに紡いだnoteを読んで励まされましたとnoteで紹介してくださった方や、個別DMで休職中のnoteを読んで、自分もnoteを始めてみましたと教えてくれた方や、「出逢えてよかった詩です」と教えてくれた方もいる。


なんだかんだ欲張りだから、その人の人生のどれくらいに刻まれたかなんてわからないから...と謙遜?していたけれど、確実にその人たちは、わたしに感想を届けてくれた。言葉を届けてくれた時、わたしはとても生きた心地がした。


だから、そうなんだと思う。誰かの人生に刻まれた瞬間は、既におとずれている。ありがたい。この積み重ねなのかもしれない。


本当に成し遂げたいことはまだかもしれないけれど、その道には進んでいるんじゃないですか?


そうですね。としか言えなかった。

その道の先にゴールはある気がしてきた。382本くらいある人生の道のなかで、確かな道を歩めている気もしてきた。気づいたら、その道にのっかっていた感覚。誰かに引っ張られて、すぐ横の道にそれちゃうことも、見失うこともあるかもしれないけれど、確かに今、その道を歩んでいると思えた。


ストイックな役づくりですね


インプロ (即興演劇)を学んでいたからこそのフレーズで、コトバのボールを渡してくれたけれど、本当にそうだなと思ったこともある。

休職することは想定外だし、望んでいない道すぎて、苦しくて、否定してしまったけれど、休職したからこそ、適応障害になったからこそ、紡げたコトバは確実にあって。経験したからこそ、見えてきた世界や、思い出される情景はある。そこまでして、自分の中で地獄を見る必要はあったのかな?と思ったけれど、その経験によって、誰かの経験に寄り添いながら、言葉を紡いで、励ませるnoteや存在になれているのであれば、よかったのだなと改めて思えた。


生きながら創作活動している


そうなんだなって思った。

ビジネス=創作活動 ってメモをしていた自分もいた。そんなこと言ったらふざけてるって思われるかもしれないけれど、没入しやすい自分と、客観的に冷静に感情をコントロールできる人間でありたいと思う自分もいて。辛いことも、創作活動をするために、必要な試練なのだと客観的に思えたら、踏ん張れる気もしてきたのだ。


ノウハウnoteが苦手なんです、描けなくて。


創作したくなってきた中で、相談したこと。誤解されるかもしれないけれど、ノウハウnoteは蛍光ペンで、わたしが描いているnoteの言葉は色鉛筆みたいな感じで。


淡さがあるんじゃないですか? 余白


って教えてもらったとき、確かに自分はその淡さの色合いが好きだなって思った。明け方の太陽が上り切る前のグラデーションの世界と、夕焼けのマジックアワーからのブルーモーメントの世界が好き。詩の世界が好きなのも、正解はなくて、想像の余白が許されるから。


そしてこんなタイトルの詩を紡いでいたことを、思い出した。



わかりやすいノウハウのnoteは描けないけれど、それは得意な人に任して、自分は自分のありのままを伝えられるコトバを、これからも紡いでいこうと思えた。

さらけ出していることは、かまってちゃんって思われるのではないか?と思ったりもしていたけれど、「この悩みは自分だけじゃない」って思えたスガシカオさんの歌詞のように、自分が抱えている悩みだったりを、コトバで紡いで伝える事で、「自分だけじゃないから、がんばろうって思えた」と誰かの一歩に繋がれば、それが自分自身が体現していきたいことだから。


さらけ出している情報って、純度が高いけれど、あまり出回っていないですよね


確かにそうなのかもしれない。

そして、社名を背負い始めた分、そういった発信に迷いを持ってきた自分もいたけれど、それも自分だから。

ビジネスのためのさらけ出しではなくて、アートとしてのさらけ出し。一人一人が表現者であり、アーティストだとは思っていて、なのに自分がアーティストって名乗ることには抵抗があって。でも、生きた形跡を残したくて、人の人生に刻まれたいのであれば、自分がまず自分の人生を刻んでいこうかなと思えた、そんな土曜の昼下がり。


勢いで描いたら、4639文字と表示されている。笑


この時代を生きる一人の人間として、コトバにしないと気持ち悪いくらい言語化欲が高いことは、授かった能力なんだなって思えてきた。


生きていきながら、創作活動をしていこうと思えました。詩の世界に捉われず、noteにしたり、対話をしたり、いろんな人と交わりながら、生きていきたいなと。そして最後に笑っていたら、うれしいなって。

楽しい時間をありがとうございました。9月のセッションも楽しみにしてます。なんだか、最後は宮本さん宛のメッセージになっていますね。笑

いろんな人のご縁で、宮本さんに出逢えたことに感謝をして。気づいたら8月ですね、8月はどんなnoteを紡げるかな、たのしもうっと。



TOPの写真は、自分らしいといってくれた写真にしました。



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