見出し画像

「売れる人、売れない人⑨」

家具屋時代、
わたしはこんな風に思っていました。

売れない善人よりは
売れる悪党の方が価値がある

上記の言葉、
自分を善人だと思っている辺りで
すでにイタいのですが、
けれど、まぁ、そういう風に
思い詰めていたわけです。

大人の仕事はなんでもそうでしょうが
結果を出してこそ意味があります。

努力の過程は、
結果が伴わなければ
何の意味もありません。

販売なら、とにもかくにも

「売ってなんぼ」

20代半ばから20代後半にかけて
家具屋にいましたが
あの頃、店の時計の針が
午後7時を指すのを
狂おしいような気持ちで
待っていました。

午後7時が
店のクローズの時間だったのです。

店を閉めたら、
その日の売り上げを
本店にいる社長に
電話をしなければなりません。

売り上げが上がっていれば
意気揚々と電話ができます。
けれど、売れない日が
圧倒的に多いのです。

「今日の売り上げはゼロです」

と社長に告げなくてはならない
あの電話の
なんと辛かったことか。

受話器を置くや否や
後ろも振り向かず通用口へ向かい
逃げるようにして
店を後にしました。

それでいて、
6時58分にはまだ往生際悪く
誰か来て
ソファーを買ってくれないだろうかと
ムシのいい奇跡を願ってもいました。

そうです。

「売れる人、売れない人」の
売れない人とは
まさにわたしのことでした。

DMを打った週末、
各店がバンバン売り上げを上げる。
自分だけが伝票を切れない。
不安と焦燥で
頭がショートしそうでした。

ジリジリジリジリ、
崖っぷちまで追いつめられる。
そして崖からわたしは
突き落とされる。

他の誰でもない、
わたしがわたし自身を
突き落としていました。

自分で自分を苛み
救いのない場所へ追い込んでいく。

たくさんの販売員の女の子が自滅し
辞めていきました。

ある日突然、
連絡もなしに
姿を消してしまう子もいました。

売れない自分に
とても耐えられなかったのでしょう。

売れない、ということは
とても辛いことです。

どうせ売り場に立つなら
売れる人を目指したほうが
いいに決まっています。

販売生活の中で
みじめで、不様で、
悔し涙を流すことがあったとしても
恥だと思う必要はありません。

一度も泣かずに
一人前になる販売員がいたら、
お目にかかりたいものです。

というよりも。

そんな販売員には
お目にかかりたくもない。

なぜならその彼、彼女は
できない人の気持ちが
わからない人であろうから。
( 販売員に限らず、
人の気持ちを
察することができる
というのは
大切なことだと
わたしは思っています)

「たどり着きたい場所を
見失なわないのであれば
みじめで不様な日があっても
誰に何を恥じることがあるだろうか?」

この修辞的疑問文に続く答えは
こうですよ!

「いいや、決して恥じることはない」


泣いてもいい。

けれど、どうせ生きていくのなら
最後には
うれし涙も流したいものです。

『売れる人、売れない人』は

販売や接客業の指南書ではありません。
なぜならわたしは
販売の成功者ではないからです。

成功者でない人のノウハウなんて、
説得力ゼロです。

20代だったあのヘボい自分。

どんなに助けたくても
あの自分にはもう
決して声は届きません。

ならば今、
声が届く誰かに向かい
精一杯声を張り上げ
歌を歌いたい。

そんなわたしが歌いたいのは
応援歌です。

音が外れても
声ががよろけてもかまわない。
人がバカだと思ってもいい。
恥ずかしげもなく自分の歌いたい歌を
これからも歌ってゆきたい。

そう思っています。

ー 終わり ー

*続きはこちらから
「売れる人、売れない人 番外編」

* 前のお話はこちらから ♪
「売れる人、売れない人⑧」
「売れる人、売れない人⑦」
「売れる人、売れない人⑥」
「売れる人、売れない人⑤」
「売れる人、売れない人④」
「売れる人、売れない人③」
「売れる人、売れない人②」
「売れる人、売れない人①」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?