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「動静脈奇形」という指定難病の患者である私について(ごあいさつ)

私「はじめまして、岸川祐子です」
相手「(私の右手の包帯を指しながら)手はどうしたんですか?骨折?突き指?」
私「実はこれ、病気なんです。動脈と静脈が結合しちゃう難病なんです」
相手「そうでしたか。…(以下略)」

仕事の現場で「はじめまして」の挨拶や名刺交換をすると、大抵は相手の方とのこんなやり取りから始まります。

上記のとおり、私は右手に動静脈奇形という生まれつきの難病(指定難病280)を抱えています。

私は1973年10月生まれなので、これを書き始めた2023年10月は50歳になったばかり。
生誕50周年にして自分の病気や自分自身と向き合うことになるとは思いもよりませんでしたが、一方で宿命のようなものを感じました。
もちろん、今までだってこの病気の患者だったのですが、この病気を通じて本格的に自分自身とじっくり向き合うスタート地点にたったのが、2023年10月。

その年の前半は、激しい痛みや大きな支障を感じることはなく、普通の生活を送っていました。
小規模ですが人材育成をやる会社を営み、あらゆる顧客課題や自社課題に対峙したり人と向き合いながら日々邁進していました。
プライベートは夫と義母の3人暮らし。家事は決して得意ではなく、テキトーにやっていました。

ところが、2023年の夏から症状が急激に進行し始め、10月20日、かかりつけの病院での外来受診中に右手親指の潰瘍から動脈性の大出血。そのまま緊急手術•緊急入院となりました。

あの日の大出血を思い起こすと、今こうして生きていることは決して当たり前ではないんだなと痛感します。
まず主治医である形成外科のA先生をはじめ、緊急で血管内治療にあたってくださった放射線科のB先生、周りの先生たちや看護師さんたちが、チームワークで私を生かしてくれました(←詳細は別記事でレポートします)。
あの時、主治医のA先生の「すぐに血管内治療をやりましょう」という即断即決と病院の方々のチームワークがなければ、私は今この世に居なかったかもしれません。

そして、さまざまな処置をしてもらっている間、旦那さんや両親、義母、お客様や自社のメンバー、友人のことが頭を駆け巡り、いつのまにか恐怖心が掻き消されていました。

上手く表現しきれませんが、周りに生かしてもらっているとはこういうことなんだなとつくづく感じ、感謝のループが止まりません。
いや、生かしてもらっているという感情はもはや「感謝」なんて表現では言い表せないかもしれず、自分のボキャブラリーの弱さに溜息が出るばかりです。

私は人生を語れるほど高徳ではありません。
でもこういう症状と状況に見舞われたからこそ、こんな稀有な人生経験はどこかに書き遺しておきたいし、書いておくべきだと思い、noteを立ち上げました。

先に申し上げておきますが、悪いことばかりではない経験をさせてもらっています。
この病気のおかげで沢山の先生や看護師さんと出逢い、学びの機会をもらいました。ずいぶん笑わせてもいただきました。

また、この病気の患者さん本人の闘病記のようなものが僅少なので、私のnoteが同じ病気の患者さんの参考になれば…とも思い、症状や経過も出来るだけ詳しく記していくつもりです。

気になる方は、駄文で恐縮ですが、どうぞお付き合いください。
ただし、これから記していく経緯はすべて私のケースです。症状や治療の過程には個人差があり、他の患者さんも私と全く同じ症状や経過をたどるわけではありません。その点を十分ご理解のうえお読みください。

病気の話が苦手な方は、テキトーに読み飛ばしていただければ幸いです。

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