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いっぱいいっぱい

ここ数週間、慌ただしさ満載でお疲れ気味。一週間お疲れさま。がんばったよ私。えらいえらい。今日が金曜日じゃなかったら乗り切れなかった、と平熱先生の登場回数が今日は激増。

転勤したてほやほやだから、とか言ってられない月数を経たことには、残念ながら気付いている。一年の仕事の流れが全く想像できないような勤務年数でないことにも気付いている。本当に残念だ。なんとか仕事をしていかなければお給金が出ないので、なんとかなんとか、毎日をやり過ごす。その日暮らしを続けてしまったらばどうなるか、くらい予測できない年齢でもない。残念すぎた。

隣の席の同僚が、申し訳なさそうに(半分以上演技だと私は知っている)実は私の仕事だったものを仕上げていたあとで「提案は私がするように」と指示をくれた。確認していなかった私が全面的に悪いのだ。他の人が作ったものを提案するというのは誠にいずいもので、どこかをツッこまれても返答できないという悪夢までがセット。ちゃんとバチが当たるようにできているのだ。それもちゃんと知っている。どうにか準備を進めるしかないのも知っている。とにかく、やるしかないのだ。

ちょっとななめ後ろを振り返ると、私の知らないところで悲しくも不思議な勘違いから生まれたような蠢きがあって、イイ年の大人が一体何をやっているのかとドキドキしてしまう。思い込みと勘違いと悲しい現実と妄想なのかもしれない出来事と真意のわからない態度と予測不可能な未来が入り乱れていて、誰か正しい事実だけを冷静に解説してくれないかなと密かに希望しているところ。どうか平和に収束しますように。もう無理なのかもしれないけれど、そう願わずにはいられない。

私と彼の世界は今日も怪しく穏やかであったように思う。それがせめてもの救いだと思いたい。毎日若干意味不明な自作のクイズが机に上がってるけど、話が盛られすぎていて嘘ばっかりで信じてはいけないデンジャラスな人なんだけれど、ツンデレとはこういうものかと体現している最も身近な人なのだけれど、そんな平和な謎な私たち。今日の水筒のキセキも、きっと君の成長のご褒美だよ。そう思いたい。

傷つかずに、拗れすぎずに、ねじれの位置でもいいから、なんとなく優しく時間が流れるといい。どこかでほんのちょっぴりでもつながれる部分があって、そこから修復が少しずつされていくといい。どこかとどこかが撚るといい。仕事は仕事、仕事場は仕事場だと割り切れるようになるといい。彼女も彼もあの子もみんなも、毎日楽しいことがどこかにあるといい。小さい良いことがいっぱいいっぱい集まって、なんとなく穏やかだといい。そう、なるといい。

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