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かわってゆくこと

年度末が射程圏内に入ってくると 突然寂しくなる日がやってくる。まだ全部が終わったわけではないのに、突然思う。毎年、思う。一年一緒に過ごした相棒を手放すのは惜しいのだ。私が育てた、一緒にがんばってきた、ひとりでもがんばれるようになった、成長を感じている、そんな愛おしくなってしまった生き物を、年度が変わるからね、はい、じゃあね、とあっさり手放せるほど私は人間ができていない。寂しいなと思ってしまう。

この間のドラマで「空っぽなんです。」という言葉が私に刺さって、とんでもなく驚いているところ。#逃亡医F というドラマだったのだけれど、残されたチームの私は寂しいスイッチが再び入ってしまった。何を観ても読んでも弾いても歌っても聴いても、いつだって残される方は寂しい。何年か時が過ぎているのに、それでもやっぱり 寂しいと思ってしまう。いつか薄れていく日は来るのだろうかと 実は毎日思っている。「空っぽ」という的確な攻めに立ち向かう術が 私には、まだ、ない。

突然のさようならに驚いて どうしようかと思っていたところで 毎日の生活というミッションが変わらずやってきて、不器用でマイナス思考で被害妄想大得意な私は仕事をなんとかやるしかない、という方に意識が流れた。どうしても さようならの方に気もちが向けられなかったんだと思う。逃げたんだと思う。うまいこと、知らないふりをしていた つもりだったんだと思う。今となっても、本当はどんなもんだか、ちょっと わかんないまま。

突然だったし びっくりしたし もう少し時間がほしかったし もっと会えていたらと思ったし もっと話せていたらと思ったし 突然終わらせないでほしかったって言いたかったし せめて最期くらいはとも思ったし もうどう頑張っても会えることはなくなっちゃったし コロナ情勢におもしろいように阻まれたし なんでか知らないけど突然思い出すようになってきちゃったし 思ったより私はだめだった。ひとりでも生きているのだけれど、ひとりって、なんか、だめなんだな、と最近のかみしめ案件。

どうしようどうしよう、って怪しくもにょもにょしていたときに一生懸命聴いていたラジオやライブDJの方や歌い手さんが いなくなってしまったりやめてしまったり、復活してくれていたり、体調を崩されていたり、ということが最近少しずつわかって、なんだかとても不思議な気持ち。あのときのことを思い出すと おもしろいように 涙ぽろりんの時期に支えてもらっていた気持ちに戻ることができてしまって そわそわして困ってしまう。

突然思い出したり 涙が出たり 復活を喜んだり 終了を寂しく思ったり 次を不安に思ったり 残されるチームは悲しみがセットなんだとか ちょっとまた心が動くようになっているんだと思い込んでみたりとか ちょっと怪しい日々が続いていて。今週のプチ遭難のこととか どうしてもよくわからない案件のこととか 来週の期首面談のこととか 現実に戻される出来事が順調に目の前に出てきて 本当に世の中よくできてると思う。

今年度は 転勤したてほやほやの年だったし 受け持ちの子どもは低学年だったし、年度末がやってきたからと言って4月から会えなくなるわけではないのだけれど、どうしても手を放れていく寂しさや惜しさが出てくる。腹黒い私の毎年の恒例行事。なんとも情けない。仕方がない。そんなことを うだうだ言ってる暇があったら さっさと年度を閉じる準備を もっと着々と進めていなければならないのだ。もう、ちょっと大人になっちゃったから知ってる。ちょっと長く働いている、って こういうとき、イヤ。

あの子は学年が上がっていくし、私はどうなるかちょっとまだわからないけど、復活した彼はたくさんライブをやってくれると嬉しいし、調子が悪くなってしまったらしい彼はお元気になってゆくといいなと思っているし、最近仲良くしてくれる人たちとはもっと仲良くさせてもらいたいし、オーディションを控えている彼女は合格するといいし、みんな仲良く平和に過ごせるといいし、欲張りなのはいつまでも変わらないんだな、と自分が可愛くて笑ってる。あのときから少し私は変わったと思うし、もう戻ったり同じでいたりは叶わないのを もう 知ってる。もうちょっと先でもいいから、かわってよかった と思えることがあるといい。そうでありたい。

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