私の町と大好きな人と②
愛されていたなあと思う。どうしてあんなに愛してもらえたのだろう、あの町で。どうしてあんなに誰をも愛したのだろう、あの町は。
東京オリンピックがあって町には高速道路が走り、表通りにはビルが建てられていったけれど、まだまだ誰もが自分のことを(お医者さんでさえ)「貧乏暇なし」「貧乏人には縁がない」と平気で貧乏と言える時代だった。
なんとかなったのだ。正しい仕事が何かわからないおじさんがいた。木戸が壊れたとか雨どいがずれたとかそんなときに母はそのおじさんに修理を頼んでいた。おじさんは各家の小さな雑用を請け負うことでたつきを得ていた。
それでも90幾つまで生きた。コンビニでお菓子を買うと、私に、と言っておいて行ってくれていた。もう私のほうがおそらくおじさんよりはるかに収入を得るようになっていたと思うけれど、おじさんの中ではいつまでも私は小さな女の子だった。
お母さんが出ていった家もあった。3人の子供が残されたけれど、おばあちゃんと近所で何とか育てた。お祭りの山車は私が付き添って連れていった。そうしたら子供がもらうはずのご褒美のお菓子を私までもらった、商店街のおじさんに。ここでも私はまだ小さな女の子のままだった。
母が伯父の看病で留守をした。母は何の気なしに立ち話で「2、3日、兄の病院に行く」と話したらしい。そうしたら毎晩おかずが届いた。もう私はご飯も炊けるし料理もできるし。それなのに毎晩天ぷらや煮物が届いた。御大尽な気分になった。お風呂も入りにおいでとか、スナック連れて行ってやろうとか、ああ、全部それは自分でできますというのにただただ心配してくれた。私は小さな女の子からとうに卒業しているのに。
道を歩けば「あ、〇子ちゃんだ」と別段用事もないのに必ず声をかけられ、気を付けておいきとしばらく背中を見送ってくれる。
愛するということは毎日のこと、普通のことなんだよ、と教えてくれた。それが私の生まれた町だった。