私の町と大好きな人と③

父の死は突然だった。いや心臓を何年も病んでいたのだが、普通に日常生活を送り美味しいものを食べて外出もしていたので、最後は発作を起こして救急車で運ばれて数日看病をすることになるのかな、くらいの覚悟しかしていなかった。
その日の朝も、少し気持ちが悪い、咳が出るというので、念のため医者に診てもらうかくらいの軽い気持ちで家から車で5分ほどのかかりつけの病院に母と私と一緒に向かった。
そのタクシーの中で父は意識を失い、病院の集中治療室に入って1時間ほどで息を引き取った。
私を含めて家族は、何年か先への覚悟はできていても今日の覚悟はできていない状態だったので、ただ茫然と立ち尽くすだけだった。折悪しくその日に限って弟も伯父たちもすぐに駆けつけてこれない距離にいて、放心状態の母を隣において私一人で病院や葬儀社とやりとりをすることになった。

看護師さんが「霊安室の時間は気にしないでくださいね。おうち、慌てて出てきたんでしょう、これから大変になるからゆっくり片付けていらっしゃい」と言ってくれたので、母を霊安室に残し一人で家に戻った。居間に入ると父の食べかけの朝食や履き替えた靴下がそのままになっていて「さっきまでここにいた人がもうこの世にいないのかあ」と不思議な気持ちになった。
飼っていたペットに餌と水を与えて家を出て、そのまま病院に戻るつもりだったのだが、やっぱりおばちゃんにだけは知らせておこうと近所の「おばちゃんち」のチャイムを押した。
階段の上から顔を出したおばちゃんに「おばちゃん、お父さんが死んじゃったの」と言ったら、おばちゃんは転がるように降りてきて「うそでしょ、からかってんでしょ」と言ってそのまま泣き崩れ「頭がものすごく痛くなってきた」とうずくまった。それまでほとんど泣けなかったのに私もおばちゃんの肩を抱いて大泣きした。それから「病院に戻るから。また帰ってきたら連絡する」と言いおいて病院に向かった。

父の遺体の前で母と二人で葬儀社のこと、親戚に知らせること、これからやることを話し合っていた。
霊安室のドアがノックされた。思ったより早く弟が到着したのか?伯父か?
そう思ってドアをあけると「おじちゃん」が立っていた。びっくりした。
おばちゃんの連れ合い。おじちゃんは仕事を引退したあともその技術を請われて再就職して働いていた。おばちゃんからの知らせで、会社を早引けして飛んできてくれたのだ。
母はもぬけの殻のようになってしまっているし、日程や葬儀場の決定から菩提寺への連絡から料理のランクまで何が正しいのかわからない中、自分ひとりで判断しなければならないと覚悟を決めたところだった。葬儀社の人は女二人だと思ってばかにしてない?ふっかけてない?という不安も頭をよぎる。しっかりしなくちゃと自分に言い聞かせながら身体が小刻みに震えていたのを覚えている。そこにおじちゃんが来てくれた。家族でもないのに一番に飛んできてくれた。

それからおじちゃんは一緒に寝台車に乗って葬儀社まで付き添ってくれ、手続きや葬儀社との打ち合わせにも立ち会ってくれ、父に死に装束を着せるのを手伝い、母と私と一緒に父を納棺してくれた。

あとを葬儀社に託して、おじちゃんと母と一緒にいったん家に戻ると、弟と伯父がようやく駆けつけてきたところだった。
そして弟と伯父の姿を見つけると、おじちゃんは何も言わず「それじゃ」と言って自分の家に入った。すっと消えた。
それ以上、自分がそこにいたら弟や伯父に恩を着せることになるから。そういうことを絶対にしない人だった。いや、絶対にしない家族だった。

そうだ、あの町は、いつも「お互い様」で成り立っていた。やってやったから、やってもらったからは言いっ子なしだった。
なのにお互いにいつもほどよい距離を保つ。お互いにそっと寄り添いながら、あるところから先は深入りしない。
心底優しくありながら相手を支配するようなことはしない。
私は生きるためのそんな力をあの町から教わった。


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