私の町と大好きな人と③

毎日夕方になると、近所の銭湯の男湯から大音量の「同期の桜」が聞こえてきた。たまにそれは「浪曲子守唄」のこともある。
とにかくその声の大きさときたら、銭湯の前どころか商店街の一帯に響き渡るが、町の人たちは毎日のことで慣れっこで誰一人立ち止まることもない。

声の主は鳶のさんちゃん。年のころは50代。酒に酔っていなければなかなかの好男子なのかもしれないが、常に酔っぱらっているから赤ら顔で目が座っていて素顔は誰も知らない。
いわゆるアル中なので夕方までまともに働いていたことはなく、ほとんど銭湯が開く午後3時には一番湯につかっている。アル中のくせに酒屋の二階に間借りをしているという本人にとっては天国のような環境。

だからさんちゃんは現場があがるとまず下の酒屋の角打ちで一杯ひっかけて銭湯に直行し、熱い湯船にどっかと居座り、お得意の一節を聞かせるのだった。
そして折悪しくさんちゃんと風呂場で遭遇してしまった近所の男の子は、ことごとく「なんだこのやろう!」「馬鹿野郎、静かにしろ!」と何もしていないのにいるだけで怒鳴られる。
もう「同期の桜」と「このやろう、馬鹿野郎」は日々のセットで、町の人たちは「ああ、今日もさんちゃんがやってる、やってる」とにやにやしながら過ごすのだった。

そんなさんちゃんと日比谷線の中で遭遇したことがある。時間は午前8時半。なぜか隣の駅から乗り込んできたさんちゃんはこざっぱりと頭をオールバックに整えすっきりとしたジャンパー姿で、おもむろに胸ポケットから老眼鏡を取り出すと「日本経済新聞」を読み始めた。
バイトが終わって家に帰り父に「今日、さんちゃんを地下鉄で見かけたけど、日経読んでたわ!」と報告すると「そうだよ、さんちゃんは明治大学の経済を出ているんだよ」と教えてくれた。
自転車に乗っていながら千鳥足走行をしているさんちゃんが学士!
ものすごくびっくりしたが、数日後、井の頭線の上り最終電車の床に、印半纏で大の字に横たわるさんちゃんと遭遇したときは「やはり日経は見間違いか」と思ったものだった。

そんなさんちゃんが商店街の福引で特等の自転車を当てた。当時はやった薄緑色のいわゆるママチャリ。さんちゃんは嬉しそうに新車をあちこちに見せてまわった。新車に乗っているさんちゃんはどこか誇らしげで、あの日比谷線の中で見せたようなきりっとした表情で走っていくのだった。

そのさんちゃんはある日入院したかと思ったら、1週間で死んでしまった。
重い肝臓の病気だったらしいが、ずーっとアル中だったので、ずーっと麻酔が効いているような状態で痛くもかゆくもなく死んでしまったらしい。
「あれはあれで幸せだったかもしれない」と父が言った。そうかもしれない、と私も思った。

今でも町の仲間と会うとさんちゃんの話になる。同じ話を何回しても、さんちゃんのくだりになると大笑いする。
ちょっと困った大人。だけど憎めない寅さんのような存在。そんなチャーミングな人がそこここにいた。そしてみんななんとかなって生きていた。
そんな町だった。

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