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この空へいける

この深読みし過ぎな解釈が間違ってたら作者様的にはあまり嬉しくないかしらと思いつつ…

今どハマりしているこちらの曲

「今まで悲しかったけどこれからがんばってくぞい」的な曲なのかと当初は思っておりました。
でもある時ふっと「今ならいけそうだ、さ、死のう」という歌に聴こえるようになって。

歌詞サイト等から歌詞が見つからないので書き起こしてみた(聞き取れなかった箇所もあるけど)▼

どれだけ泣いていたかをもう隠さないんだから今までずっと隠していた、それだけずっとしんどかったわけで、でもそれをこれから行動化して明るみに出す。「光の階段へと駆け上がる」とか「この空へ行ける」とかは割とわかりやすい比喩な気がする。これだけが悲しみから逃げられる唯一の手段で。何だかんだ躊躇はあるので「怖がらずいける」とか「決めたならいける」とか「このまま止まったら負ける」とか鼓舞するような描写があって。
彼の匂いを頼りに進んでいるので「彼」っていうのは先に死んでるひとなのかも知れないし、「彼」と「あなた」は同一人物ではないかも知れない。同一人物じゃないとしたら「あなた」にこそ「どんなに泣いていたか今すぐわかって」ほしいのかも知れない。そのくらい執着しているのかも。「狂おしく抱かれてる」のとか全部「夢」だろうって認識があるし、おそらくその執着が好転する可能性はないこともとうに認識している。でも死んだら見られるであろう夢幻の世界ならそれが叶って「きっとすぐに会える」。ここは冒頭の「彼」が「あなた」と同一人物なら天国で再会できるかもって話かも知れないけど。

「死にたい」と「日常を楽しく生きている」こととは両立する、とおもう。特にその希死念慮が慢性的なものである場合。じわじわずっと苦しくて「死にたい」が存在することが日常だから、その状態で能動的に誰かと遊ぶ計画を立てていても美味しいものを味わっていても何らおかしくない。意識か無意識か、実はいつも周到に心の準備をしていて、これ以上耐えられない時や些細でも最後の一押しがあった時、逆に思い残すことがなくなったとか一見ハッピーそうなタイミングでも、はたから見れば「何の前触れもなく」ふっと居なくなってしまうことがあるようにおもう。

正直なところ歌詞よりも「曲」の方にそういった、前触れのない、でもいつ消えてもおかしくなさそうな、そしてふっと肩に力を入れずに決意した時のような空気を感じた。BPM100くらいの4つ打ちが少しだけ緊張感のある心拍みたいで、少しのストリングスと、いい意味で捉えどころのないベースラインと相まって、決めたことで既にカタルシス的なものが起きたような解放感と淡々としたせつなさみたい。

全然、もっと前向きな歌って解釈もできるんですけどね。そもそも何かを決意した時って、緊張感がありながら何だかふわっと浮いたような、どこか解放されたような感じがあるものだから。
その辺り、気分で解釈を変えられるのはこういう曲のありがたい点だとおもう。ハッピーに振り切っているとしんどい気持ちの時に聴けなくなるもんね。ある意味包容力。前を向いても向かなくても、どっちでもいいんだよって。

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