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レストランを始める前はどういう仕事をしていたか。どうして店をすることにしたのか。

レストランを持つ前は、日本食のケータリングや料理教室をしていた。ケータリングは、口コミで少しずつ広がり、色々な人のお宅に伺った。外からだと何の変哲もないアパートに見えても、中に入るとそれはゴージャスな、天井もめちゃくちゃ高い素敵なお家に圧倒されることもしょっちゅうだったし、車で何時間もかけて、田舎の別荘みたいなところに呼ばれたりもした。

料理教室は、自分のアトリエでやることもあれば、出張教室もよく行った。どこかのミュージアムとか、他の市のイベントに呼ばれて行うことも。

当時、サパークラブという、お家レストランというコンセプトもあるということを海外のニュースで知って、リスボンでは先駆け的に、自宅兼アトリエを1日だけの日本食レストラン風にして、月に何回か食事をサーブしていた時期もある。これは結構話題になって、その後同じようなこともする人も出てきたし、色んな雑誌にも取り上げられ、なんとリスボンの市長さんまで何度か来ていただいたこともある。

そんなケータリングや料理教室、うちレストランの面白い小話もたくさんあるので、少しずつまた書いていこうと思う。

そんな感じで料理の仕事をしていたけど、やはりいつか店を持ってみたい、という気持ちが少しずつ強くなり、物件を探し始めたのだ。外国人ということもあり、そんなに簡単には理想的なところも見つからなかったけど、最終的に見つかったTasca Komeの物件の大家さんはフランス人で外国人同士ということもあり、トントン拍子にいったのかもしれない。

どんなコンセプトの店をしようかと夫と話し合っていた時、最初は、お惣菜を売るデリカテッセンみたいな店をしようと考えた。営業時間もお昼から夕方7時くらいまでの、テイクアウト中心だけど、中でランチやコーヒーも楽しめる店。周りはオフィスや銀行も多かったから、お客さんもこれで結構来るのではないかと期待していた。

ところが、これは大間違い!オープンした当初は、話題になって混み合ったけど、ランチだけすごく混んで、その時間が過ぎたら店には誰も入らない。夕方7時に閉めていたら、「夕食はたべれないの?」「夜は閉まっているってどういうこと?」と問い合わせがたくさんあり、結局このままではいけないと思い、ランチとディナーの営業時間という、普通のレストランとしての営業スタイルに直ぐに切り替え、デリのアイディアは早々に諦めてしまった。そもそもデリとかテイクアウトなどという概念自体が当時のポルトガルにはほとんどなかったのかもしれない。もし今同じことをしていたら、もう少し需要があったのではないかと思ったりする。

なにせ、飲食店を経営するということ自体、初めてだし、何と言ってもポルトガルの法律やら細かい衛生の規則やらわからないことだらけ。新鮮な魚や野菜、ドリンク、その他の雑貨などを配達してくれる業者とのつながりも少なく、とにかく経験ある色んな人に聞いたり、周りのレストランに配達しているトラックを見つけては追いかけて連絡先をもらったり、様々な生産者を回って見せてもらったり、講習を受けたり、全部そこからスタート。

今考えたら本当にドタバタの準備期間を経て、見切り発車でオープンしてしまったので、よくあれで店を開けたなぁなんてつくづく思う。

オープン初日!






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