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今は奇跡的に創られた今だと思う話

私たちが今いる”ここ”は、無限の可能性の中の世界の一つである。

10年ほど前、とても尊敬し信頼していた大切な友人が仕事中の事故で亡くなった。
今でも無性に話をしたくなって、深く悔しい思いをすることがある。

その時50cmでも違う場所にいたら命をおとすことになっていなかったかもと思うと、もしその日に私が電話でもメールでもしていたら違う現実になっていたんじゃないかとも思った。

行動や選択が少し違うだけで世界はがらりと見せ方を変えてくる。

そのことがあってからかもしれない。
何かの対比に最悪な状況を考えるようになったのは。

今ある世界の少しずれたところには、悲しみに打ちひしがれている私がいたかもしれないと思うと、この穏やかな今に感謝しか無くなる。

パラレルワールド。

私たちが今目の前につくっているこの現実は
無限にある可能性の中の一つを奇跡的に紡ぎ出しつくり出されたものだ。


なんてことを
親孝行できなかった、と悔いていたかもしれない世界と
まだ親孝行できる現実とを対比しながら思った4月3日の下書き記事。


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