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自分は何者かということに悩んでいた話

私は41歳を迎える数ヶ月前まで不妊治療をしていた。

正しく言うと、子供を授かりたいという想いはまだどこかにあるので、過去の話ではないんだけど。


34歳で結婚し、夫との治療に対する価値観の違いなどを乗り越え、ざっくりと5年ほどは病院に通っていたし、体外受精専門の病院にも2年ほど通った。

うまくいかない妊活。
陽性反応で喜んだ後の流産。

そんなことを幾度か繰り返し
出来上がったのは、すっかり諦め癖のついた私だった。

自分の気持ちを「悲しみ」におかないために
コントロールして得ていた感情は「しかたがない」だった。

根っからのポジティブで、小学校の先生には「素晴らしく根拠のない自信がある」と言われて育ち、

それが私自信を作りあげていて

しかたがない。
また次、がんばろう。

と、なるべく上を向き、空を感じ、空気をたくさんすって
私の掌の中に”あるもの”を大事に想おうと、
「悲しみ」にフォーカスしないように感情と向き合っていたつもりだった。

とはいえ、”あるもの”はたしかにあったので、
毎日はそれなりに楽しいし
あ〜幸せだなぁと思うこともたくさんあった。

ただ、いつの日からか、私は
「私が不妊である理由は何なんだろう?」
「不妊の私に課された役割は何なんだろう?」と

『自分が何者であるのか?』

という問いに対する答えを探し始めていることに気づいた。

自分の感情をコントロールし続けて、
自分の価値を見失ったような感覚になって
確かなものが欲しがった。

不確かな状態を漂っていた私は
何者であるのか、何の役割があるのか、
それが分かることは、
自分の中の確かさのカケラのようなものを
掴めると思っていたのだ。


ふと当時の自分を思い出し
「しんどかったね〜」と今の自分からハグをしてあげることがある。


何者であるのか、
ひと言で表すなんてやっぱり難しい。

何者かである必要はないかもだし。

ただ、自分をまるごと愛せて、受け入れていたら
それが自分という存在を形どれることになるんだと思う。

私を輪郭どるもの。

それが一つの答えなんだろうね。


さて、自分を受け入れるとか、自己愛とか、
基本的にはとても強い方だと思っていた、わたし。

だから、余裕でコントロールできると思っていることは
コントロールして、しんどいところに
自分を置いておきたくなかっただけなんだけどね。

必要だったのは、
一度自分の感情を確認して、共感してあげること
だったんだろうな。

「今回もだめだったね。悲しいね。」ってね。


(ちなみに、とても大きなショックがあったときは
コントロールしない、という選択をちゃんととったよ。
これについてはまたいつか。)





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