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本気でやってたブログを辞めてしまった理由。

20代の頃は、毎日ずっとなんだかんだと文章を書いていた気がする。

大学1年のときにmixiが流行り、そのとき初めて「自分が何気なく書いた日常の文章を、ネット上に公開して人が読める状態にする」という概念が私の中に生まれたように思う。

あれからずっと文章を書くことが好きなのかもしれない。
かもしれない、というのは、特段「私は書くことが好き!!」って意識したこともなければ、その度合いを人と比較したこともなかったから、文章を書きたいという欲求が私にとっては当たり前すぎてよくわからない。

ただそれをやったからどうなるというわけでもないのに、忙しくても、余裕がなくても、むしろちょっと元気がなかったり、もやもやしてるときに損得なしで一番やりたいことが、とにかく「考えていることを書き出す」ということなのだ。


アメリカから帰国してすぐの数年間、自分がただ書きたいことを書いているだけなのもなんだし、せっかくなので「人の役に立つような情報」を意識してがっつりブログを作っていたことがあった。

当時「スポーツメディスンのメディア」をテーマに運営していた私のブログは、ありがたいことに読者もどんどん増え、SNSで知ってくださっている人も多くなり、とてもやりがいを感じていた。

その反面、私はあまり自分が前に出るのが好きではないのだな、ということを同時に強く実感するようになった。

ブログのテーマ的には必ずしも「自分」をそこまで出す必要はなかったけど、どうしても自分という存在をなるべく消して記事を書くというのがとても難しかった。よく書いていたのは色々な環境で働くアスレティックトレーナーの友人知人のインタビュー記事やシンポジウムに参加した感想などだったけど、なるべく客観的事実に終始しようと意識すればするほど、どんどん書くのが困難になってしまった。

自分の思いや意見、リアルな出来事を書くから楽しいのに、いち会社員だった当時は特に、職場には見せていない活動を知られていくことをとてもストレスに感じるようになっていった。

今思えばちょっと自意識過剰すぎでは?と思ったりもするけど笑、たくさん同僚がいる比較的大きな職場では、極力悪目立ちしたくない、なるべく周りの"ふつうの看護師さん"たちと同じような顔をして無難に暮らしていたいと心底思っていた。

多くの人に読んでもらいたい。
でも、自分は目立ちたくない。
でも、自分を出さずに発信することはできない。

この「やりたいこと」と「嫌なこと」の大きな矛盾に、ずいぶん悩まされたように思う。

組織に属する会社員でいるなら、その集団の価値観にちゃんと合わせた顔をしていたいし、私はそうやって周りに合わせるのもそれなりに上手なんだと思う。本当は、個人事業主みたいな価値観・独立心・人生観を持って生きているくせに。


でも今はやっと、何かと気にしがちな"会社員のしがらみ"から自由になった。

今の勤務先はとても小さなクリニックで、同僚自体も少ないし、最初からみんな私がシフトにいない日は別の仕事をしているということを知っている。それについて好奇の目を向けられることもないし、全員と日常的に会話できる距離感なので、変わった人だとか噂されることもない(わからないけど、そもそも噂するほど人数もいないw)。そもそも気になる人は「家ではどんな仕事してるの?」と、直球で私に聞いてくれる。それがいい。

発信というほどの大義を抱えようとは思っていないけど、もうちょっと、ありのままの自分を正直に出して社会に出ていきたいと思う。いまさらすぎるし、そんなの誰も何も思ってないというのはわかってるけど、やっぱりなんか病院の人間関係ってちょっとめんどくさいんだよね笑。狭い業界だしね。気にしすぎるくらいでちょうどいいと思ってる。

ということで、こんなふうに日常的にnoteを書くのはその第一歩。
また、読んでもらいたい!って全力で推せるようないい文章が書けるようになったらいいな。

以前のブログはもちろん削除したわけではなく、記事は全部残してあります。お時間をいただいて取材させてもらった記事、寄稿していただいた記事などもあり、全部大事な記録です。永続的に公開されることを保証するような契約を結んでいたわけではありませんが、私の勝手な都合で運営を続けられなくなってしまったことは本当に申し訳なく思っています。またちゃんと体制を整えて作り直したいという思いはずっとあります。


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