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以前は他人を羨ましいと思ったりもした。

身近な人や同世代の女性に対して、羨ましさや嫉妬などを感じることが本当になくなった。これはもう"自分の人生はじゅうぶんに素晴らしい"と全肯定するのだ、という強い意志を持てるようになったからだ。意外と若いうちにそのような物事との向き合い方ができるようになってよかったと思う。

アメリカ留学中はお金の心配や、思うように物事が進まないことばかりの日々と孤独にストレスが絶望的にやばくて常に心には余裕が全くなく、初めて取り組む分野の勉強を第二言語で大学院のスピード感で取りくむのもやっぱりものすごく大変で、いつも他の人と自分を比べては劣等感で苦しくってよく部屋でひとりでいるときやハイウェイを運転中に泣いていた(危ない)。

全米に日本人AT学生は多く生息していたが、実はそのほとんどが日本の大学でアスレティックトレーニングを学んで学部を卒業してから来ているか、まっさらな高校卒業後かのどちらかで、私みたいにこれまで違う分野の畑で育ってもう社会人4年目にもなって、腱と靭帯の違いもわからないようなレベルでアメリカに来てATになろうとしてる奴なんてほかにいなくって、私ってどんだけ何も知らんと来てんねんと自分で自分にうんざりすることも多かった。

私の20代後半は全然きらきらしていなかった。もういい大人なのに、ほんとにできないことが多くって、クラスメイトと違って内容うんぬんの前に英語がまともに話せなくて、テーピングもストレッチもトレーニングも解剖もアメフトもほんと何も知らなくってぜんぶゼロからのスタートで、冗談抜きでよく泣いてたから部屋の小さい冷蔵庫の冷凍室にはいつも保冷剤が2、3個入ってた笑。

あのときはいろんな友人や同世代の女性と自分を比べてはすごくみじめな気持ちになって本当に辛かった。何も活躍していない自分。あの頃の苦しい気持ちは今でも鮮明に覚えている。

帰国してからもうすぐ6年になる。あのとき、自分と比較しては劣等感を感じていたSNSの向こう側の人たちに対して、もう卑屈な気持ちを抱くことはなくなった。知人や友人であれば純粋に尊敬して応援しているし、彼らの人生の幸せを心から願っている。それは自分なりに自分の道のりを肯定できるようになったという私自身の成長や、生活環境の変化もあるし、さらに、「誰の人生にも人には見せない苦しみがあるものだ」ということもちゃんとわかるようになった、というのもあるかもしれない。

なんにせよ、どうせ比べても仕方ないのに、他人と比較して落ち込んだりする時間とエネルギーの無駄を削減できたのは本当に快適なことだ。自分よりすごい人なんていて当たり前だし、別に活躍しなくたって幸せになれるし、大丈夫。って思ってる。

最近ふと、そういえば私も以前はしょっちゅうすごい人やキラキラしてる人と自分を比べて羨ましさや劣等感を感じたりしてたけど、いつの間にかそういうのなくなったなと思ったので、ちょっと昔を思い出しながら書いてみた。

アイキャッチ画像は、無事にBOCをパスし、大学院を卒業したときにクラスメイトと一緒にニューヨークを旅したときの写真。深夜にマンハッタンでマンハッタン(カクテルね)飲んでいい感じに酔っ払って、UberでAirbnbに帰って、楽しかったな。彼女は今当時の彼氏と結婚してシカゴに住んでる。また会いたいな。

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