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私の「アスレティックトレーニング」との付きあい方

もし今24歳だったとして、「よし、自分のために全財産と全エネルギーを投資して、ガチガチのガチで勉強するぞ!!!!」の意欲と情熱の矛先を向けるとすれば、それはなんだろうか。

今の人生から「アスレティックトレーニング」とそれに付随して出会ったものを全て取り除いたうえで、改めてぴちぴちの24歳として社会に放り出されるのだとしたら・・・

想像してみるとここから何にでもなれそうでわくわくするけど、なんだかんだいってやっぱり「本気でスポーツ医学を勉強したい」って思って、アスレティックトレーニングを勉強しにアメリカに行ってしまうんじゃないかと思う。

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曇りの写真ですみません

実際の24歳当時に思い描いていた「アスレティックトレーナーになったあとの未来の私」のイメージは、振り返ってみると今よりずっと見えている世界が狭くて、想像力もめちゃくちゃ乏しくて、かなり精度に欠くものだったと思う(いや、当たり前かもしれないけど)。

20代後半の全財産・全エネルギーの投資先を決めるのにそんなあいまいなビジョンしかなくて大丈夫かいなと思わなくもないけど、自分の人生が進んでいっている"方向性"は絶対に正しい、という直感があった。だからどんなに視野がボヤっとしてても、いろいろ心配でも、覚悟を決められたんだと思う。

で、それは間違っていなかった。

むしろ、実際のこまかい停泊地はどうであれ、「方向性が合っていること」。それがいちばん大事だった。

看護もアスレティックトレーニングも、「先端」というよりは「土台」となるような知識/スキルである、と私は考えている。

もちろんそれをそのまま尖らせて日々のパフォーマンスに発揮してもいいし、それらはリテラシーとして足元を固めることに使い、そこから応用を効かせたものを実際のアウトプットにするのでもいい。

端的に言うと、過去の私がイメージできていたのは前者のみで、現在の私が選択しているのは後者である、ということ。

アスレティックトレーナーというのは、スポーツの現場で選手のメディカルサポートをするための専門家。

昔はそれしか知らなかったし、それ以上は想像できなかった。

でも資格を取得してからも色々な人に出会い、さまざまな考え方を知り、国内外のセミナーやシンポジウムなどを通して業界全体としての取り組みを学び、理解できることが増えるにつれ、経験値のない人間の頭の中だけで想像していたよりももっと広い視点で「この学びをどう生かすか」について考えられるようになった。

「今もし20代前半だったら、もっとこういうことに時間とお金を使って、こういうのを勉強して最強になるのに・・・!」とか思ったりもするけど(笑)、そういう選択肢がいいんじゃないかって思いつくのはああいう20代後半を過ごした「今の自分」だからであって、たぶんその積み重ねをリセットした"ただ若いだけの私"にはピンとこないような気がする。

昔イメージしていたみたいに休日をフィールドで過ごしてはいないけど、より自分らしく、より好きで得意なことで社会に貢献する働き方ができるようになってきたのは、結局「アスレティックトレーナーになる選択をしたから」だ。

何を勉強するか、それをどう生かすのか。

ありとあらゆる人が、ありとあらゆる道のりを発信しているけど、もうこればっかりは誰をお手本にするとかじゃなくて、自分で決めていくしかないと思う。

他人を参考にできるのは部分的な要素だけで、全体を俯瞰して人生をデザインできるのは自分だけ。

私は当初思い描いていたほど「アスレティックトレーナー」の肩書きで仕事をしてないけど、じゃあもし過去に戻れたら違うことを勉強したいかというと、やっぱりアスレティックトレーニングを勉強したベースがないと話にならないな〜と思うので、やっぱり今の生活に全部生きているんだなと実感した。という話。

最近は、いろんな本を読んでる。

さらに勉強するのにまだまだ遅くない!


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