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小説『衝撃の片想い』シンプル版【序章】①

【序章】国民的人気女優の決意①

「息苦しい。お酒の飲みすぎかストレスかわかんない」
女優の奥原ゆう子はベッドの上で胡坐になって、心臓の辺りに手を置き、ゆっくりと胸を擦った。パニック障害の発作だった。しばらく深呼吸をしていて、そのうちに横になり、浅い眠りに就いていた。
ゆう子は27歳。二年ほど前からパニック障害の発作が出るようになった。慕っていた父親が死んでから体調が悪くなってきていた。
――お父さんが死んだのは何年前だったかな
父のことを思い出すと、また息苦しくなり、忘れようとしても夢に出てくる。
夜、眠っている時の発作が多く、睡眠不足になり撮影現場で疲れるようになり、台詞を覚えるのが辛くなり、また発作を助長させた。
ゆう子は真っ白な下着を穿き、それを露わにして寝ていた。
ゆう子は父親が死んでから、お酒、ブランド物を買い漁る散財、そしてなぜか饒舌になり、作り笑いも上手になった。
「誰?」
眠りかけていたゆう子はベッドの中で顔を上げた。部屋に人の気配がした。
八階にある新宿の高級マンションの一室は、警備も厳重で、ゆう子は無防備。上だけ着ているスウェットの中にブラもしていない。スウェットはパジャマの代わりだが、疲れてしまうとズボラになる。

だから、無機質に見える銀色のスーツを着た青年が部屋に現れた時に、ゆう子は、「疲れてるんだ。これは夢だ」と慌てることもなかった。
挨拶もなく、男の長い話が始まってからも、手に物が当たる感覚があっても、「リアルな夢だなあ」と思って、少しずつ楽しむようにしていた。
「君が女優業を休みたいのは知っている」
そんな話で始まった。
男の名前は、「トキ」。
現代から遥か未来、955年後の日本からやってきたと、少し微笑して教えてきたが、もちろんそれもよくあるSFチックな夢。何もかも信じなくて、ただ、「なかなかイケメンの未来人。だけど洋服のセンスが悪い」と、ぼんやりと考えていた。

その日、奥原ゆう子は、テレビドラマの打ち上げパーティーから帰宅し、酔いを覚ましながら、惰眠を貪っていた。寝ては起き、また寝ては起きて、深夜の二時を過ぎた。
――体調が悪い。
パニック障害の持病は日増しに悪化し、時間に追われて台本を読むと動悸がしてきて、息が苦しくなる。
「長い期間、休みたいな」
いつの間にか起きていて、誰もいない部屋で、思わず口にしてしまう。それに気づいた時、ゆう子は目に涙を滲ませていた。
泣き虫だけは変わらない。
台本にある涙を流すシーンは、辛い少女時代を思い出すと、簡単に演じられた。

――今度、事務所の社長に相談しよう。でも、休んで何をすればいいのだろうか。
趣味はブランド物の新作が出るのを待っていることくらい。
映画鑑賞は好きだが、それは仕事の一つとも言えた。
「誰かに恋でもしたいな。恋をしたことがないって、樺太で死んだ郵便局の少女たちみたいだ。過去に触れない完璧な純愛ってないかな」
映画で演じた戦争の悲劇を思い出しながら、そんなことを呟いてしまい、ゆう子は自分がバカに思えて、部屋の灯りを消して目を閉じた。
雨音が聞こえてきた。
季節は晩春。
まだ寒いが、お酒のせいか暑苦しくなったゆう子は、ベッドの中で、スウェットの下を脱ぎ、白い下着とスウェットだけになっていた。ブラも外していて、とても無防備に寝ていた。
よく「行儀が悪い」と叱られる。
「そんなに美人なのに、胡坐をかいて座るな」
最後にわたしにそう言ったのは誰だろうか。皆に言われるから覚えていない。叱りながら傍にいてくれたらいいのだが、皆、いなくなる。だからか、怖い夢と寂しい夢ばかり見る人生。
ゆう子はナイトテーブルの上にあったパニック障害用の錠剤の薬を取ろうと手を伸ばしたが、水を用意してなかった事に気づき、また浅い眠りについた。
そう、やっと眠れたのに、部屋に突然男が現れたのだ。
「悪夢でもない夢で起こされるなんて」
SF映画によくある平凡な夢だ、と、ぼんやりと彼を見ていると、その男がそれなりの美青年で、じっと体を見られていて恥ずかしくなった。
下半身が新品ではない白の下着だけで、太ももはもちろん、寝相が悪くてずりあがったスウェットもお腹が丸出しだ。ブラをしていないから、乳房のラインも浮いていると思い、無性に夢から目覚めたくなった。
羞恥心を見せたゆう子のその様子を見たのか、
「美しいものだ。美女は何をしても美しい。行儀が悪くても寝相が悪くても、そう血まみれでも…。ただ、私は女はやめているから気にしなくていい」
と言った。
「血まみれって…。あなたは何歳ですか。女はやめたなんて寂しいですね」
頭の中で呟く。実際に声に出していたかも知れない。
「もうすぐ四十歳になるが、私の時代では女性はあまりいない。それに、違う国では片耳がない女性が多くてね。両耳がある女性の価値は格段と上がるんだ。数が少ないと価値が上がる。一点しかない絵画は数億円の価値が出る。この時代ではそうだろう。私の世界では美女に価値があるが、それはあなたのような女の姿を正常に宿している人だ。この時代は希少価値のあるものが売れるらしいが、私の時代には通貨はない」
「この国では女にもお金をかける男の人たちが大勢いますよ」
「そうらしいな。兄から聞いた。だが、私は恋愛は今はしていない。耳があるとかないとか、日本人じゃないとか移民とか。もううんざりなんだ」
「恋は休戦中ですか。また頑張ってね。若いんだから」
ゆう子が屈託なく笑って言うと、彼は少しだけ苦笑いをしながら、また口を開いた。
「美しい女性にはきちんと恋人がいる。この時代でもそうだろう?」
と笑った。
「わたしにはいませーん」
おどけてみせると、彼はそれを無視して、また口を開いた。

「君たちの時代のSF映画などで想像されている通り、女は妊娠する必要がなくなり、子供たちは人工的に作られていた。自然妊娠がなくなり、女はすることがなくなり、強くなった。しかし、私の少し以前の時代ではそれ故に戦争が起こった。指導者になった女たちが戦争をした時代があった。快楽に耽り、創造を怠った。欧米の女たちは半数が死んでしまい、残った男たちがまた本質を追求するようになった。暴走した男たちもいた。戦争の犠牲になった男たちを助けるために、そう、あるクスリの副作用に苦しむ男たちを助けるために、また正常な恋愛ができるように、私は世界を支配する『光』をばらまいた。それら、すべてが手遅れだった」
よく喋る未来の人だ、ゆう子はおかしくなった。しかし、彼が急に肩を落とし、
「父の遺言を聞けばよかった。臨終に間に合わなかった」
と言ったのを見て、『これ、夢なのかな』と思い、神妙に彼を見つめた。
「それは悲しいことですね」
「私は頭がいいらしいが、勇敢ではないらしい。非情にもなれない」
「悪い奴はぶったほうがいいよ」
ゆう子がそう言うと、彼はくすりと笑った。その笑顔がとても純朴に見え、ゆう子は、きっと優しいばかりの人なんだろうな、と思った。
「……全世界の人口は3000万人ほどで、それは悪くない数だとブレーンが教えてくれた。とても統治しやすい。ただ、女性と日本人はもうわずかしかいない」
「日本人がいない?」
「増やしたいものだ。優秀な日本人を」
「まあ、頭はいいよ。ちょっと陰湿だけど…あれ?…」
ゆう子は、左の薬指にブルガリの指輪がはめられていることに気づいた。
夢のはずなのに、妙に指輪が指に食い込んでいる感覚があって、右手の人差し指でその指輪を触ってみた。
シンプルなホワイトゴールドで、小さなダイヤが並んでいる。
「その指輪は、君が恋人になる男が選んだものだ。彼に君の指のサイズを教えて、彼が勝手に選んできた。婚約指輪でもなく、結婚指輪でもなく…私も上手く説明ができなかったら彼は頭を抱えていたから、気に入らなくても許してくれないか。そう、女優の奥原ゆう子とは言っていないが、年齢が27歳で髪はロング、童顔、身長、体重などを教えて買ってもらったものだ」
「体重も?」
ゆう子は飛び起きるほど驚いた。そして現実に起きることができ、夢から覚めた。なのに、トキと名乗る男は目の前に立っていた。部屋の隅、寝室のドアの前に。

…続く。


【イラスト 八田員徳】

普段は自己啓発をやっていますが、小説、写真が死ぬほど好きです。サポートしていただいたら、どんどん撮影でき、書けます。また、イラストなどの絵も好きなので、表紙に使うクリエイターの方も積極的にサポートしていきます。よろしくお願いします。