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小説『衝撃の片想い』シンプル版 【序章】②

【序章】国民的人気女優の決意②

左手を見ると、指輪もはまっている。
背中には冷たい汗が流れ、動悸は鎮まらない。もはや、下着姿はどうでもいいことだった。すると、
「パニック障害の発作が出ては困る。落ち着きなさい」
彼がそう言うと、彼の左手が緑色に光った。よく見ると、彼も別のデザインのリングを指につけていた。ブルガリではないが、銀色のシンプルな指輪だ。ただの輪っかにも見える。
間接照明で薄暗かった部屋が、新緑の森の中にいるような瑞々しい緑色に一瞬染まった。

……わあ、蛍の光みたい。なんか気持ちよくなってきた
と、ゆう子は惚けた顔をした。

「私の世界では、難なく治療ができる心の病だが、この時代にやってきた私には、もう力がないから、一時的な処置だ。私はこの時代に一回だけ、数時間しかいられない。間もなく、私の時代に帰るので、今から要点だけをまとめて話すがいいか」

――と言われても…。
ゆう子が無言でいると、その青年はゆう子の返事を待たずに口を開いた。
「君は今から三年後のある日に、ある男に強烈な恋心を抱き、彼も君に惹かれる。それを少し早め、今日から好きになってもらいたい。きっと女優業を休む決心がつくはずだ」
ゆう子は呆然として聞いていた。何か聞き返したくても、話についていけない。そして、優しい好青年に見えた彼は、よく見ると凛とした佇まいは崩しておらず、とても怜悧に見える。

そう隙がないように見えた。愚痴は零しているが背中が丸まっているわけではなく、声にも震えがない。どこか気高くも見え、ゆう子は体を硬くした。
「もし、君が嫌だと言ったら彼のケアは次の恋人に頼むことになるが、それは私の本意ではない」
「次の恋人?」
「三年の間にその彼に恋人ができる。恋人になりそうな女も。その女たちに頼むのではあまり意味はない。いや、意味はなくはないが…」
彼はこめかみを指で押した後、
「…仕方ない。これで」
と言い、また部屋の中を緑色に光らせた。
突然、ゆう子の頭の中に少年の姿が浮かんだ。

母親と喧嘩をしていた様子や、友人に裏切られて落ち込んでいる様子。その母親はやがて男と蒸発。大人になったその少年が、見知らぬ女の子とデートをしている光景。セックスをしている生々しい姿も断片的にゆう子の頭の中に浮かんでは消えた。
セックスに疲れた女を、一晩中看護するように見守っているシーンがいっぱいあり、なのにその女は翌朝消え、二度と帰ってこなくなっていた。
男たちにも同じように優しく接していて、陰徳も積んでいて、貧困国の子供たちに定期的に寄付もしている。「まるで優しさの大安売りだ」と、ゆう子は呆然としてその映像見ていた。
ゆう子は、彼と自分が幼馴染で、ずっとその彼と交際していたかのような錯覚すら覚えた。
泣いていた。ゆう子は涙が出てとまらなかった。
――この男性は、なぜこんなに人に裏切られるのだろうか。つまり、優しい人間は、貪欲な人間に狙われるように貶められるという証拠か。
悲しくて、あまりにもその生き方が真剣すぎて、なのに不運ばかりが続く男の人生を映画で見せられたような気分だった。
――この子たちは?
映像の中の、大人になった彼の傍には必ず少女が二人いる。姉妹のようだった。娘なのだろう。二人とも、彼にべったりとくっついていて、小学生の低学年ほどの娘が、「お父さんと結婚する」というと、負けずに十四、五歳くらいの姉も「結婚するのはわたし」と、はにかんで言っていて、妹は中学生の姉には勝てないと思ったのか、いつもやきもちをやいている。その後、三人で温泉などに行くようになり、彼が仕事を旅館にまで持ち込んでいる時は、姉がお茶を淹れたり熱心に肩をもんだりしていた。彼が唯一、無邪気に笑っているシーンは、その姉妹と一緒にいる時だった。
温泉宿にはもう一人、大人の男性がたまにいるが、別の日にホテルのロビーでもその男性はいる。打ち合わせをしているようで、仕事の友人のようだった。
そのホテルでも姉妹のどちらかが彼らの周りをウロウロしている。
自宅を見ると、妻とは寝室は別にしていて会話はほとんどなく、友人はみな仕事の関係者のようで、愛人のような女が一年から三年に一度のペースで変わっていた。それなりにもてるようだが、彼が優先しているのは、二人の娘のようで、ディズニーランドにもよく出かけている。結婚したのが若かったのか、父親には見えない彼と高校生になった姉と二人だけでディズニーシーに行っている様子も見え、まるで歳の差カップルのようだった。
顔は紗がかかったようになっていてはっきりと見えないが、姉妹はとても美少女のようで、姉が芸能プロダクションの者にスカウトされているシーンもあった。父親である彼の顔が緩みっぱなしなのは当たり前と言えた。
比較的、遊ぶのは室内の方が多く、特に海はなかった。高級ホテルや幕張のイベント会場、スカイツリーなど、女とは行かずに娘と行っていた。そこに妻がいない。
「このひとは車椅子じゃないですか」
姉妹と遊んでいたその後年、交通事故に遭い、車椅子の生活になったようだった。ゆう子は驚いて思わず青年を見た。
「今は違う。私が治した」
トキと名乗る青年が答えた。
ゆう子の頭の中に、思い出のように入ってきた優しいその彼は、交通事故に遭い、車椅子の生活に絶望していた。青白い顔で、だが決して泣くことはなく、時々、発狂したかのように笑い、急に空を見てはまた笑い、いつも一人の部屋でいた。
なぜだろうか、事故の現場で泣いていた娘の姿もない。泣いていたのは背丈から妹のようだった。二人で公園で遊んでいて、次の映像では救急車が到着していた。ドキュメント映画のような映像は、退院した彼が、まるで終活をするかのような、部屋の整理を一人でしているシーンで終わり、シュレッダーで写真や何かの書類を処分していた。それが一年ほど前だと言う。
「治したって?」
「未来の医療技術で治した。今は超人のような男になっているが、まだ大けがをした時の心の傷は癒えていない。本人は否定しているが、私の見立てでは集中力が欠如している。さっきから君は彼のことを、優しい男のひとだ、と呟いているが、今はそうではないと思う」
「そりゃあ、そうでしょ。わたしだったら自殺してる」
ゆう子は丁寧な言葉も忘れ、絞り出すように言った。その勢いでなぜだか、『この男の人の役にたちたい』と強く思い、膝の上に置いていた枕の端をぎゅっと掴んだ。
「彼の記憶の一部を消して、心の傷を治療することもできるが、それをしてしまうと性格が変わってしまい、本人ではなくなってしまう。彼は優秀だから、違う人間にしてしまうわけにはいかない。わかりますね」
「わからないよ」
「神経も痛めた複雑骨折の治療のため、他の筋肉、骨も強化させてしまっている。そんな我々の医療薬の副作用が出るが、それがとても彼には苦しい。しかし、君に優しくしてもらえば緩和される。君は彼に相応しい女性だ」
彼の名前は、佐々木友哉。
四十五歳。小説家だった。
トキは言った。
「その男は私のご先祖様だ。私と仲間たちの希望だ」
と。

序章 了

普段は自己啓発をやっていますが、小説、写真が死ぬほど好きです。サポートしていただいたら、どんどん撮影でき、書けます。また、イラストなどの絵も好きなので、表紙に使うクリエイターの方も積極的にサポートしていきます。よろしくお願いします。