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ちょっと待ってねボランティア

正月に起こった能登半島地震からもうすぐ一週間、過去の大震災同様に現地から被害状況や避難所の様子が伝わってくるようになってきました。SNSを中心に気になるつぶやきがあったので、前回のコラムでは「救援物資を被災地に送ること(持って行くこと)」について過去のブログ記事(東日本大震災直後にアップした記事)を転載しました。続編で被災地支援ボランティアの話を過去のブログ記事で書いていたので、そちらも読みたいという声やSNSなど「今すぐボランティアに行きたい」という投稿が目についてきたので、続編の記事もnoteに転載しておきます。これは28年前の1995年の阪神淡路大震災の時に学生ボランティアとして現地に入った経験から綴った内容です。

2011年3月13日のブログ「スクールソーシャルワーカーのぼちぼちいこか」より転載(大幅に加筆)

滋賀県で社会福祉士として活動する幸重です。学生時代の話になりますが阪神淡路大震災では半年近く被災地で支援活動を行っていました。約30年前の話なので当時とは災害支援もNPOなどボランティア活動も今とは大きく違っていますが、それでも大規模災害として変わらない普遍的なことがあるので今回コラムとしてまとめてみました。

今、テレビやネットを見てすぐにでも現地に入って何かの役にたちたいと思っている人が全国各地にたくさんいると思います。もしかしたら現地に入るための準備をしている人もいるかもしれませんが、ちょっと待ってください。大規模災害では、発生から72時間が「人命救助」が優先の時期になります。今はそのフェーズが終わりを迎えて避難している人たちの生きるための生活を支える期間に入っています。つまり現地で必要なボランティアは、現地のニーズにあわせた専門家によるボランティア(例えば医者や看護師、また災害支援の専門家)や指示系統がはっきりしている組織で参加するボランティアです。同時に中間支援の専門家が現地に入りボランティアの受け入れ体制づくりも急ピッチで行われています。そのボランティア受け入れ体制が出来てからはじめて一般市民の出番です。

間違ってもそのボランティア受け入れ体制がないまま個人の判断で被災地に入っては、現地に対して長期的に考えると迷惑になります。また毎日のように流れる地震速報や今なお脆弱なライフラインから、まだまだ現地は危ない状態です。ボランティアに入った人が被害にあってしまう可能性も決して低くありません。そもそも被災者や避難所の生活もままならない状態で、外からのボランティアが道路を使ったり・食事・寝る場所・トイレを占拠してはまさに本末転倒。

メディアの注目が一段落した復興支援のフェーズこそ、一般市民によるボランティアの出番です(あ、我々のようなソーシャルワーカーもたぶんそう)。復興支援での出番は一ヶ月後から半年ほど長期に渡って続きます。今は現地で迷惑かけないようにボランティア活動にかかる資金を貯めたりなど力を蓄えたりしてください。あ、もちろん災害支援の募金集めのためのボランティアなどは今すぐ出来る大事な活動の一つですね。また同じ思いをもつ仲間で長期的に何ができるか作戦会議を開く時期でもあります。

あと阪神淡路大震災での活動経験から感じたのは、感謝してもらおうという気持ちではなく「自分のために行っているという覚悟をもって」現地に入ってもらいたいと思います。ボランティアに行ったのだから、現地は受け入れてくれて、感謝されて当然という気持ちだけで行くのはやめた方がいいです。あくまでボクの経験ですが宿泊で迷惑をかけないように、朝一の電車で向かい、終電で帰りました(これは阪神淡路大震災では早い段階で西宮北口まで電車が使えたのが大きかったので今回の震災とは事情が違うと思います。現地で食べる食事も京都のコンビニで基本買ってきました(まあ現地では日に日に救援物資が余ってくるので、その時は余っている弁当やおにぎりはよくボランティアにも配給されていましたが)。

前回のコラムにも書きましたが、福祉を学ぶ学生だった自分が行っていた震災直後の現地でのボランティアは物資の仕分けや避難所の調査活動がメインでした(直接被災者に物資を渡したりすることはほとんどありませんでした)。特に当時はネットが普及していない時代だったので、まずは自転車で避難所をまわって調査をすることが大事だったので、この活動が多くを占めていましたが、何も救援物資をもたずにバインダーと調査用紙をもって避難所の責任者にあって、時間をとって調べるということは感謝どころか邪魔者扱いされることが多々ありました。でも今になって感じるのは現場である被災地に入ってのボランティア活動をやって良かったと思いますし、社会福祉における「地域福祉」「社会調査」の大事さを身をもって学ぶことができました。

そうやって避難所まわりを繰り返す中で、多くの避難所で子どもたちが置き去りになっている実態に対して何か出来ないかという思いが強くなりました。また自分の日常であった京都のNPOの活動の中で、ボランティアをしたいという京都の若者たちが被災地での出番をつくりたいという意味で、震災から一ヶ月後ぐらいにある避難所(学校の体育館だったので広いグランドはあった)で「遊びキャラバン隊」を派遣する活動をつくったことを思い出しました。このころからまず現場でしっかり必要な支援を把握して、そこから社会資源をつなげて必要な支援を作る原点が出来上がっていたのかもしれません。

以上、2011年3月12日のブログの転載でした。

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