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だいすきなおばあちゃん

眠れない夜、どうしても書かなきゃいけないような気がして、電気をつけてパソコンに向かうことにしました。長くなってしまうかもしれませんが、お付き合いいただけたら嬉しいです。

わたしには、だいすきなおばあちゃんがいます。

だいすきなおばあちゃんは、鹿児島にいます。小学生の頃、東京に住んでいたわたしたちは、夏休み、冬休みになると、はるばる新幹線で鹿児島を訪れていました。わざわざ新幹線で、って思うかもしれませんが、お兄ちゃんが電車が大好きだったから新幹線を使っていました。博多で乗り換えて鹿児島に向かうのは、一大旅行で、ワクワクしていました。新幹線に乗ると、決まって、じゃがりことたけのこの里を買ってもらっていた気がします。お母さんは、九州新幹線の中で食べるアイスクリームが好きだったと思います。わたしとお兄ちゃんは、アンパンマンやらポケモンやらの指人形が大好きで、キャリーバックいっぱいに詰め込んで鹿児島まで持って行っていました。よく、お母さんはあんなわたしたちを許してくれていたな、と思います。「こんなのいらないから、持っていくな。」なんてことは一回も言われたことがなかったです。寝台特急に乗った時もありました。どこかの駅で、シュウマイ弁当を買うか買わないかでお母さんとお兄ちゃんが大喧嘩して、恥ずかしかったから他人のフリをしたこともありました。

おばあちゃんの家の最寄り駅に着くと、決まっておじいちゃんの車が止まっていて、改札のすぐそばにおばあちゃんが来てくれていました。夏でも、そうじゃなくても、おばあちゃんはよく帽子をかぶっていた気がします。それから、可愛い巾着を持っています、いつも。会うと「はるばるご苦労様です。」と言ってくれます。わたしとお兄ちゃんは成長期で会うたびに大きくなっていました。おばあちゃんの背も、わたしたちは、いつの間にか追い抜かしていました。「ばあちゃん、チイちゃくなったねぇ」と言って、お兄ちゃんとわたしで笑っていても、一緒に笑ってくれていました。家に着くと、手作りの梅ジュースとか桃ジュースとか、梅ゼリーとか桃ゼリーとか、なんか美味しくてさっぱりするものがよく出てきていました。りんごの時も、梨の時もあったと思います。おばあちゃんの家は、懐かしい匂いがします。これはずっと。

おばあちゃんのところに行くときは、大抵2、3週間ずっとそこにいました。夏休みの自由研究も、冬休みの書初めも、一緒にやってもらっていました。トレーシングペーパーで日本地図を写す方法を教えてくれたのはおばあちゃんでした。ちょっとだけずれたところが気になるわたしにも、「いいが、いいが。」と言ってくれました。わたしが今になって大抵の小さなミスは「いいよ、いいよ。」って言ってしまうのは、ちょっと大雑把なのは、おばあちゃんのせいかもしれません。嘘です、小さなことを気に病まないようにできるのは、おばあちゃんのおかげです。

お餅をついて丸めたり、おせちを作ったりもしました。コロッケとか唐揚げとか、かき揚げとか、家では滅多にやらない揚げ物の準備をやらせてもらえることが多かったです。料理をするたびに花嫁修行だね、と言われることが多くて、いつの間にか、わたしが一番にウエディングドレスを見せたいのは、お母さんでもお父さんでもなくて、おばあちゃんになっていました。だから、わたしはおばあちゃんに「ウェディングドレス見せるまで長生きしてね。」と言ったことがあります。その時、おばあちゃんは、なんてことなく「ゆきちゃんがほんとに幸せであるのがいいんだから、そんなことのために焦らなくていいからね。」って言ってくれました。なんとなくだけど、ずっとずっと覚えています。

折り紙も、編み物も教えてもらっていました。

折り紙で季節ものの何かを作ったり、部屋に飾る何かを作ったりしました。一回夢中になると完成するまで満足しないわたしに向かって何回も、「ほら、もう寝るが、」と言ってくれていた気がします。そんなおばあちゃんも、本当は完成するまで満足しない性格なのは、今のわたしなら知っています。

「庭のお花で、好きなの取ってきて。」と言われて、一緒に花瓶にアレンジしたこともありました。わたしとお母さんが同じ花を選んだ時は「あんたたち、似てるね、」と言って笑われたこともありました。お花屋さんに行くときは、一番気に入ったお花を買ってくれました。わたしがかすみ草を知ったのは、多分そのときが初めてで、今でも一番好きなお花はかすみ草です。他には、スーパーに行った帰りにほおずきを買って、ほおずきの中のタネを取って遊ぶ方法も教えてくれました。あのときは確かあんまり上手にできなかったんだけど、今やったらできる気がするんだよね。

車に乗っている時も、道を歩いている時も、綺麗な花を見つけると、名前を教えてくれていました。川端康成の「掌の小説」の中に「別れる男に花の名前を一つ教えておきなさい。花は必ず毎年咲きます。」という言葉がありますが、一つどころじゃなくて、この世界にはおばあちゃんが教えてくれた花だらけです。ずるいな、ずるいね。


4月の上旬、おばあちゃんがくも膜下出血で、病院に搬送されました。

すぐに鹿児島には行ったけど、会えずにわたしは東京に帰ってきました。お母さんは今も鹿児島で毎日病院に通っています。コロナのせいで、会えないけど。手術の前に、助かる確率は1割と言われたおばあちゃん。今も頑張っています。おばあちゃんが頑張ってるから、わたしも、おばあちゃんのこと、ずっと思っているよ。


おばあちゃん

おばあちゃんの家にもこの前たくさん手紙書いて置いてきたけど、今日もまた書くね、

ばあちゃん、今日も頑張っていたみたいだね、じいちゃんもお母さんもひろちゃんも毎日病院に行ってるよ。コロナのせいで、面会ができないから寂しいかもしれない、可哀想って、お母さんも兄弟もみんな言ってる。でもさ、写真を撮られたり誰かとお風呂に入ったり、そういうのが恥ずかしくて嫌いだったばあちゃんのことだから、今、管がたくさん繋がってたり、浮腫んでたり、自分の思い通りに動けなかったりする姿なんて誰にも見せたくないよね、だからちょうどいいのかなとか思っているよ、

それにしても、じいちゃんは寂しそう、何かあるたびにばあちゃんが、って言ってたよ。プールの時にチーズくれるのとか、葡萄酒を一口飲ませたいとか。

多分高校生の時、わたしは鹿児島から帰る前におばあちゃんに手紙を書いた。確か、「わたしたちって本当に似てるよね。」みたいなことを書いた気がする。今思うと生意気だけど、あの時のわたし、ちゃんと伝えてて偉かったな。家が好きで、出不精で、細かい手先の作業が好きで、少し大雑把で、負けず嫌いで、歌とギターが好きで、綺麗なものとか可愛いものが好きで、夢見が悪くて、すぐ夜更かししちゃって、少しめんどくさがりで、ほんとに似たもの同士なんだよ。わたしが悲しいことがあると、なんでもわかってくれていた気がする。だから、わたしは勝手に、何歳も離れているけど心の通じ合ったお姉さんみたいだと思ってるよ、おばあちゃんのこと。

こんなにたくさんの花は教えてくれたのに、確か、桜は一緒に見たことないよね。たとえ車椅子になっても、わたしがちゃんと押すから、一緒に桜見て、お散歩しようよ。コスモスも、面倒くさかったらわたしが植えてあげるからね。ウェディングドレスも、やっぱり、おばあちゃんにだけはどうしても見せたいんだ。

知ってるよ、おばあちゃんが静かに我慢しながら頑張っちゃうこと。無理はしてほしくないけど、会いたいな、また、お話ししたいな、

そのときはわたしのさいきんの悩み事、聞いてね

おばあちゃん、今日もだいすきだよ、明日も、ずっと

由季乃


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