世界一周日記

タイトルは世界一周日記だ。このご時世に。世界一周を終えた人や継続・中断している人の日記ではない。

世界一周はまだ始まっていない。

「いつか」世界一周をしようと小学生のころから漠然と思っていた。その「いつか」は20代のうちにだよなと、信じて疑わなかった。       

だけど、社会人と呼ばれるうちに、「世界一周をするために仕事を辞めます」なんて、どんな顔で言うんだ?としょうもないことを考えるようになった。

仕事を辞めて、次の仕事はどうするんだ。資格もスキルも持たない自分が。そんな馬鹿馬鹿しいことを本気で思ってしまうようになった。

「次は、一緒にパリに行こう」                    そう友人とした約束も、まとまった休みを取るのがなんとなく気が引けて、本気で行こうとできてないまま月日が経った。

20代後半になって、やっと気づいたことがある。自分はすごい人でも、特別な人でもないってことだ。

漠然と、自分には何か特別な力があるんじゃないかって、自分は何者にでもなれるんじゃないか、多くの人に評価されるんだって思っていた。だけど、当然、動かなければ何も起こらないし、継続しなければ何も身につかない。周りを気にせず突き進める信念も夢も持てないまま、すぐに結果がでなくても継続する根気強さもないまま。

周りからの反応を気にするのも、チャレンジできない自分を守るために何かと言い訳をするのも、小さいころから変わってない。

できないと思われるのが嫌で、背伸びしてできるふりや知ってるふりをして。できないことがばれるのがいやで、わからないと素直に言うタイミングを逃して、今更言えない知らないことがたくさんある。

そんなことばかりだ。

自分は大したことないのに、小手先で器用に何かをこなしては、調子に乗って、地道に継続や努力する人に追い抜かれていく。そのくせ、自分より何かができない人を見ては、偉そうに、自分のことを語ってみる。

そんなことばかりだ。そんなことばかりでいやになる。

そんな自分をそろそろ認めようと思う。

できることを得意げに繰り返し、できないことや嫌なことは目を背けて、誰かに押し付ける。そんな自分を卒業しようなんて、かっこいいことはまだ言えないけれど、そんな自分を認めようと思うようになった。

自分は大したことないなと思えるようになった。

だけど、それでも、20代の内に世界一周をしたいし、英語を話せるようになりたいし、いつかは海外で暮らしたいと思う。パリには必ず行くと信じて疑わない。

だから、世界一周日記と名付けました。

あと、数年で世界は元の形を取り戻さないかもいしれない。でも、だからこそ、「いつか」なんて言葉に月日を浪費させないようにしたい。


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