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仲間と学ぶということ

このやる気のないnoteを久々に投稿する機会を作ってくれた皆さまに感謝を込めて。

始まりの町

学ぶことは楽しいことで、素敵な出会いがあるはずで、自分の人生においてかけがえのないものになるかもしれない。

そんなことを言われたら、きっと多くの人が疑ってかかるんじゃないだろうか。

言葉にはしていなくても、なんとなく漂ってくる優しくてちょっと熱くて、少し瑞々しい雰囲気。
そんなものを感じた時に、私は無意識に距離を置いてしまう。真実はどこにあるのかと疑ってしまう。

思えば、最初からそうだった。
衝動性をチャームポイントの一つとしている私の興味と直感がthe coachの扉を叩く。
始まってみると、自分が軽い気持ちで参加しているんだろうなと自覚することになる。

そんな感覚のまま、ここまできてしまった。
そんなことないでしょ、と思うかもしれないけれど、わりと結構そんなこともある。

ただ楽しいなと思いながら、自転車を漕いでいたら、知らない街まで来てしまって、帰り方がわからなくなる。でもまあそれはそれでいいか。と思ったりする。そんなことがある。 

仲間に感じた違和感

インテグレーションコースなるものが始まって、最初に感じた違和感は、仲間と呼ばれることだった。

君たちは仲間だよね、ではなくて、
僕たちは仲間だよね、という言葉で。

それは、例えば卒業式で泣く人の気持ちがわからないとか、その程度の違和感に過ぎない。
日常の中の、そういう人もいるよなと思える場面で、でもなんとなく、泣く方が正しいように感じたり、泣いていないのは冷たいのではないかと勝手なことを勘繰って囁く自分がいたりする。
そんな程度の違和感。

そんな風に、静かにゆっくりと始まっていく。

仲間になるということ

私はこの半年を通して、仲間とは何か、を心の片隅で考え続けていたのだと思う。

そうして今の私は、一つの答えに辿り着きつつある。

仲間になるというのは、仲間になると決めることなんだ、と。

それと同時に、遅ればせながら、私は今、12人目になれるんじゃないかと思っている。

そう感じさせてくれた、この期間とみんなに、そして私自身に。ありがとう。

次の町で

穏やかで少し熱くて瑞々しい、言葉にされない空気感が、言葉以上に鮮やかに伝わっていく。そんな川の流れを前にして、踏み込んでしまっていいものかと思案する。

どんな環境においても本当の意味で自分を適応させるのは少し時間が必要なはずなのに、その必要なことを、なくてもいいものとするのが嫌だから。
自分であるまま、身を投じられるのかを見極めなければならない。
本当はどこにあるのか、探さなければ。

それでも、一歩踏み出すと決めた先の世界が、自分と大切な人たちがいるこの世界が、心から大切にすべきものになるように。

これからも。一歩ずつ。
私が私を体現することで、仲間を探し続けられるといいなと思っています。

夏休みもそろそろ終わりだ。
これが私の自由研究。

さて、もう少しで気が向きそうなので、
またnoteを書くと思います。
今度は、次の町でまだ見ぬ誰かと出会うために。

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