「おじさんは可愛いものが好き」から感じる見えない差別

私の妻はドラマを観ることが好きなので、さほど興味のないものでもなんとなく一緒に観ることが多い。そうして観た中で、ふと感じたことがあったのでNoteに書いてみようと思った。

「おじさんは可愛いものが好き」は、主人公の会社員(40)が自身の趣味(かわいいキャラクターに癒されること)を周囲に隠しながら生活している模様を描いた物語である。自身がとても優秀な社員で部下からの信頼も厚いが、その趣味のイメージからそれをひた隠しにしている。

別にこのドラマの設定自体は面白いと思ったし、そもそもこういう人も実際にいるのかもしれない。ここまでひた隠しにしているかどうかは疑問だが。

このドラマの初回を観たとき、何か違和感を感じた。設定とこの主人公の気持ちは察することが出来る。それ自体は理解できる。

では違和感はなんなのか?

少し考えて気が付いた。これは「差別」だと。厳密に言えば、この主人公は差別されることを恐れているのだ。

「いいおじさんなのに可愛いものが好きなんておかしい、気持ち悪い」

こんなことを言う人が仮にいたとして、私たちの社会はこれを言う人とこのドラマの主人公のどちらを「おかしい人」と感じるだろうか?

匿名でアンケートでもとれば、おそらく後者の主人公という答えが多数になるのではと思う。匿名でなければ主人公を擁護する意見も出るかもしれない。しかし本音レベルではそうはならないのではないだろう。

人種差別、男女差別、年齢差別と、挙げていけばきりがない。多くの人が差別は悪いことだと認識できているのにも関わらず、実際には差別はなかなかなくならない。

「人それぞれ違っていいし、それはおかしなことではない」

たったそれだけのことを受け入れられれば、差別は少しずつでも減っていくのではないかと思う。

他人がどんな趣味嗜好をしていようと、どんな思想を持っていようとも、「そういうものもある」と思えばよい。自分と違ってもいいし、逆に自分が他人と違うと不安になる必要もない。

おじさんがかわいいキャラクターを愛してもいいじゃないか。女の子がロボットを好きでもいいじゃないか。

「○○はこうあるべき」という考え方を少しづつ捨てていこう。

そうしたらきっと、もっと世界は生きやすくなるはずだ。

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