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先生は、優しかった。

こんばんは~。

最近、夕方に、きれいな空が見えて、ちょっぴり幸せな気分になることがあります。

今日は、ワニみたいな雲が、モクモクした雲を食べようとしていました。あっ、もうすぐ食べられてしまう!って。(笑)


さてさて、先日、久しぶりに私は、高校を訪れました。一年ぶりくらいですかね。

校舎に入った途端、あれっ、全然変わっていない。私が、過ごした校舎とおなんじまんまで、私だけ老けたみたい。

と思ってしまいました。(笑)

そして、自分が、高校時代の自分に戻される気がして、少しこわさを感じました。何にも変わっていないがゆえに、すべてを肯定されていた自分に、努力をしなくても、受けいられたことに、当たり前だと感じていた自分に。

そう思ってしまって、懐かしさよりも、こわさを感じてしまいました。


今回、わたしが訪れた理由は、高校時代に、たくさんお世話になった先生に会いに行くことでした。

この先生は、受験の時期に、私が、わたしのすべての感情をぶつけた人でした。つらいこと・悲しいこと・嬉しいこと、すべて報告していました。

そんな先生に、久しぶりに会って、話して、気づいたことがあります。

先生は、優しかった

のだと。

だけど、その優しさが、生徒にはしっかりと届いていない。

のだとも。

3時間ほど、先生と話していたのですが、その3時間の間に、5人くらいの生徒が先生に相談しに来ていました。

彼女らは、自分がみている一面的な視点から、悩みを語り、自分だけの世界で物事を完結させていました。いうなれば、自己本位ということです。

彼女たちは、先生が、短時間の間に、こんなにも多くの生徒に、嫌な顔を見せず、真剣に生徒と向き合っているというのを、おそらく理解できていないと思います。そして、それがものすごく大変であるということにも気づいていないと思います。

これを、優しさという言葉で表すのが適切なのかは分からないけれど、優しかったのだと思いました。

そして、今なら、その大変さが理解でき、先生には感謝しかありません。


ほんとうに、私は周りの人の思いが、分かっていなかった。

ものすごく痛感しました。


先生、ほんとうにお世話になりました。ほんとうに、ありがとうございました。

伝えても、伝えても、足りないくらいの感謝を、形にすることはできないけれど、今という時を、先生に誇れるものにするために、生きていきます。


今日は、このへんで終わりたいと思います。

それでは、また~。




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