見出し画像

何かを諦めた瞬間の、笑顔

兄の結婚式に行った。

それは盛大で、感動的だった。
この現代にきちんと結婚式を挙げる、挙げることの出来る兄を尊敬しているし、自分でも一応寿いだつもりだ。

その上で。
なんだかとてもアンビバレントな気持ちになった。

それは初めて行った結婚式場という場が非日常すぎたり、初めて見る兄の友人達との楽しげな会話をみたり、まっっっしろなスーツにビシッとキメていたりしたから、だけじゃない。


自分が兄のことを何にも知らないことに気づかされたからだ。
寄生獣に乗っ取られた人を見てる気分だった。

歳が4〜6歳違うきょうだいのあるあるかもしれないんですけど、ライフサイクルが被らないんですよね。

例えばわたしが中学に上がり思春期に入った時、4つ上の兄は高校2年生でもう進路の事を考えだしてる
わたしが大学で軽音楽部をやっている時に兄は専門学校を卒業しバリバリ働いてる、みたいな

でもそういった年齢によるズレもあって、わたしが思春期に入って以降は特にこれといった理由もなく話さなくなってました。

小学校くらいまでは仲良かったと自覚している。
トイレットペーパーでお互いぐるぐる巻きになって笑ってる写真とかも、残っている。
喧嘩もよくする、子供らしい仲の良さだったと思う。
そしてそういう人間味のある兄がなんだかんだ好きだったんだと思う。

思春期も落ち着いてきた頃、数年ぶりにちゃんと話して割と衝撃を受けた。
優しい。
いや、優しすぎる。

こっちを強めにいじってきてそれを突っ込み返す、みたいなコミュニケーションが主だったはずなのに、それが全くない。
親にもわたしにも、さわやかな笑顔で、優しく接してくれる。

聞けば店長になって頑張っているらしい。尊敬する人から色んなことを教えてもらったらしい。多少の風邪でも出勤して、自己啓発本もたくさん読んでいるって。

なんかむず痒かった。
いや、はっきり言って気持ち悪かった。そして寂しかった。
その時は、人って変わっていくよなとか、その程度のことでふわっとさせてたけど、今になってわかった。


「その距離感で接していくことを決めたんだな」ってことが悲しかったんだよ。


多分、尊敬する人に「家族は大事にしろよ」とか言われたり、自己啓発本からいろいろ学んだりしたんでしょう。文字通り自己啓発されたんでしょう。

いや、優しいですよ。優しいんですよ。要らなくなったものとかたくさんくれるし。
引っ越すとなったらお祝いくれるし。
母の日、父の日には毎年何か送ってるみたいだし。

ただ、それは私の知ってる兄じゃないんですよ。

もっとダメだったじゃん。ちゃらんぽらんだったじゃん。
喧嘩もさせてくれないじゃん。

何かを覚悟した、もしくは何かを諦めた人間特有の笑顔。
よく見ると目の奥に光がない、あの笑顔。

その”アップデート”された姿を見ると悲しくなるんですよ。

もちろんこれは自分にブーメラン返ってきますよ。
なぜなら兄の方が「正解」だから。
わたしと接しない間に、いつの間にかその道を選んでたんですよ。
立派ですよ。「立派な人間になる」という道を選んで、ちゃんと実現した兄を尊敬しますよ。
そっちに追いつけないわたしの方が間違ってるんですよ。

そんなことは重々承知で!!!

寂しいんですよ。

人って醜くて、誰かに嫉妬したり、向上心を持ったりするのに、今のダメな自分が好きでもある。
この寂しさはそこからも由来してると思う。

みんなダメでいようよ、同じ肥溜めに浸かっていようよという自分。
そんな自分には"立派"になってしまった兄は眩しく映りすぎたんだと思う。

披露宴の後、新婦の弟さんと話す機会があった。
兄と仲がいいらしく、わたしの知らない兄の情報がどんどん出てきて(スニーカーが好きとか)、ぜんぜんわたしより兄のこと知ってんじゃんって思った。

きょうだいって、血の繋がった他人なんだな。
知っていこうと思わないと知れないんだな。

だから結婚式の後、兄に、新婦の弟さんと仲良くなりたいから機会があったら会わせてとLINEした。

それは弟さんを通して、兄のことを知りたかったからだ。
自分から距離感を縮めていく覚悟ができたからだ。

いつか昔のような雑なコミュニケーションができたらいいなと思う。

しばらくして、兄からLINEが返ってきた。
「いいね!多分仲良くなれると思うよ👍✨✨」


こりゃ何十年もかかるだろうな、と思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?