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私の好きな詩① 私を束ねないで

みなさん、おはようございます。
ゆっかです。
連続投稿45日目です。

さて、今日は私の好きな詩について。

実は私、結構小さい頃から詩が好きで、読むのも好きだったのですが、自分で詩集を創って友達に回していたりしているくらいには好きでした。

自分の思いをどんな言葉にしたら伝わるんだろう?どんな言葉がこの思いを最も表現しているだろう?を考えるのがめちゃくちゃ楽しい。

このnoteを書いているのも同じ感覚です。

自分の今この瞬間感じていること、人生での気づき、伝えたいこと。

それを言葉にして伝える。

そこにかなりワクワクを感じます。


その中でも、小学生の頃からずっと繰り返し立ち返る詩がいくつかあります。

今日はそのうちのひとつを紹介します。


【私を束ねないで  新川和江】

わたしを束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱のように
束ねないでください わたしは稲穂
秋 台地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色の稲穂

わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽撃き
こやみなく空のひろさを買い探っている
目には見えないつばさの音

わたしを注がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
若い潮の ふちのない水

わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
座りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風

私を区切らないで
,(コンマ)や.(ピリオド)いくつかの段落
そしておしまいに「さよなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終りのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩

ここから今、感じること

私の価値観として、
自由であること、
決めつけないこと、
自分らしくあること
があるのですが、その感覚をこの詩は言ってくれているなと私は感じます。


そして、昔は、これを自分自身が他人に対して
私は自由でいたいし私らしくいたいんだから、あなたの価値観を押し付けないで!
という感覚だったのですが、
今改めてこの詩を読んでみると、
自分自身が自分自身に対してもそうだよなと思いました。



大人になると自分自身で自分のことを、自分はどうせこうだからとか過去に縛られたり、
この役割があるからこうしなければならないといったhave toで縛られたり、
どんどん外的世界に合わせて自己捏造していきます。



それは親の保護下にあるうちはある程度仕方のない部分もあるかもしれません。


なぜなら親の言う通りに生きなければ、生きていけない場合が多いからです。



でも大人になりその守っていたものを手放詩、自分の可能性を自分が誰よりも信じる。




そうなれると何があっても自由です。




私もやっとその感覚が分かってきたのでそう感じたのかもしれません。


以上、本日もお読みいただきありがとうございました。


今日も最幸の一日にしましょう!

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