文章は「分かりやすさ」が全てではない
わたしはブロガーとして、文章を書く際は常に分かりやすさを心掛けています。
しかし、それが全てだとは思っていません。
むしろ
「たまには難しい本を読んだ方がいい」
と思っています。
なぜなら、何度も読み返してやっと真意が分かる文章こそが、読む喜びを教えてくれるからです。
なかなか真意が解らないからこそ、一文一文を噛みしめ、解釈し、何度も読み返す。
その結果、理解が深まるとき、それは何ものにも代え難い喜びです。
わたしは最近、小林秀雄の本を読んでいます。
小林秀雄と言えば、その高度な思索と深遠な哲学からくる難解な文章で知られています。
ですが、その奥には魅力的な世界が広がっています。
その世界を覗き見るため、わたしは挑み続けます。
たとえ最初は理解できなくても、時間をかけて少しずつ理解を深めていく。
その過程がわたしにとっての読書の喜びであり、成長だと思っています。
ある日、あなたが難解な本を手に取ったとしましょう。
あなたがその本を開くと、文字と文字の間に広がる奥深い世界が広がっていて、その全てを理解するのは至難の業かもしれません。
しかし、その難解さに挑むことで、あなた自身の思考が広がり、深まることでしょう。
かつてわたしも同じように、難解な本に挑みました。
一見すると、理解不能の固い壁が立ちはだかっていました。
しかし、わたしが挑む度に、その壁は少しずつ剥がれ、明かりが差し込み始めました。
その過程を経て、今のわたしは、難解な本に対する恐怖から解放され、挑戦する楽しみを感じています。
そんな経験を通してわたしは思うのです。
分かりやすい文章が悪いとは言わないが、読んでいるとすぐに飽きるのが難点だ、と。
それは、まるでどこでも手軽に買えるスナック菓子のよう。
すぐに満足感を得られますが、一時的で、すぐにその記憶は風に吹かれてしまいます。
しかし、難解な文章は一口には飲み込めない美食。
時間をかけてじっくりと味わい、満足感を得るのです。
だからこそ、わたしはあなたに挑戦をお勧めします。
たまには難しい本を読む。
その過程で何度も読み返し、理解を深める。
それが、読書の真の喜びをあなたに教えてくれるでしょう。
そしてあなた自身の思考の深さを知る機会にもなるでしょう。
だからこそ、文章の深淵に挑む、それが真の読書だと断言します。
この信念を持って、わたしはこれからも文章を書き続けます。
そして、それがわたしの哲学でもあります。
読書とは、ただ消費するだけでなく、自身の思考を深め、広げるための鍵であると。
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