マイノリティがマイノリティを作る

個人の見解のお時間です。

マイノリティがマイノリティを作っていると思う。

善悪や良し悪しの話をする気はまずない。
これに関しては、もう聞き飽きた程言ってるが、
誰かの善は誰かの悪で、
環境、立場で簡単にシャッフルするので、そこは置いといて。

というか置くしかない。

さて、題目に関してなんだけど、
少数派、多数派なんて結局のところ、統計の結果でしかないと思ってるんだけど、
どうしても、防衛本能だろうか、
マイノリティの方が、防衛的であること自体は仕方ないと思うんだけど、
気になるのは………

その前に。

まず、個人的な価値観でいうなら、少数派なのか多数派なのか、正直どっちでもいいし、どうでもいい。
大事なのは自分がどういう価値観でどう考えるかだと思ってて、それと…例えば、真逆の価値観の人の話を聞いた時に、「あぁこの人はそうなんだね。」で終わる話なんだよね、僕からしたら。

でも、ちょっと分母でかい…いやかなりでかいか。
世間までいかなくともそれに近い世の中は、なんだかそうじゃないらしい。
別に相手がどういう価値観でもいいだろ。と思うような、記述はよく目にしていて、
だからといってそれに対して指摘する気も毛頭無いんだけど。

結果的に、少数派に括られるか多数派に括られるかだけなんだが

なぜだろうか。少数派の意見や立場や価値観を、「理解」してもらうのは、大事だと思う。
とくに、多数派は、どちらでもいいが、あればあったで、便利だよね。とかアリな価値観だよね。ってことは、受け入れること自体はそんなに難しいことではないだろう。
でも、無理に「共感」してもらう必要って無いんじゃないかなって。
それは、少数派だからとかって話じゃなくて、逆もまたしかりだと思ってるんだよね。

だから、主張することはいいことだと思う

少数派だろうが多数派だろうが、
主張する権利は同じだと思っている。

だから、それ自体いいことなのに

なんだかやり方の具合は悪いよな。って思う。

このての話は繊細だから難しいんだけど、
「集団」として「印象値をつけ判断する」ってことが無くならない限り、本来主張していいことが行き過ぎて目的と手段が入れ替わり、結局、「これだから少数派は」となって、最悪のスパイラルが完成している様にみえるんだよね。

僕の価値観は恐らく、所謂「一般的」
(一般的がそもそもなんだという話なんだが)というものよりも「少数派」に近いと思うし、なんならその住人の可能性すらあるからこそ、
余計感じることはある。

こう曖昧な物言いしか出来ないのが申し訳ない気もするけど。
(具体性を出して各々の価値観で切り取られた時に湾曲した解釈されるのは発信したいことと異なる為)

結局、マイノリティの中でも少数派を作り出してしまうのは、防衛本能からなのか経験からなのか。
勿体無いなと思うことは、ままある。

最終的に何が言いたいかって、
少数派も多数派もある意味変わらないよと言いたい。
主張の仕方は、やっぱり大事だと思うんだよね。
理解をされるためには、尚更。
「知ってもらう」ってこともそう。
マイノリティの苦しさは、同じマイノリティは、わかるはずなんだ、それが支援ではなく逆向きに物事が進んだとしたなら、それは、恐らく主張の仕方に問題あるんじゃないかなって。
本来、一番味方になる可能性高いんじゃないかなって思うから。
同族嫌悪になってしまったり、似てる価値観の筈なのに排除に向かうのは、いかんせん、意図とは違うよね。ってこと。

まぁ、そもそも別に理解される気もないけどスタンスならこの話は意味ないんだけどね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?