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いさな

 弾けて飛び散るコインを拾い集めて、最後の一枚の先にそれはいた。
 コンビニに鮮魚を置かないのには、きっとそれなりの理由があるのだ。鮮魚を夜遅くに手に取り捌いて食べたくなることが頻繁にある気はしないし、こんな風に魚をふと眺めるのは路上に落ちた小さな一尾で十分なのだ、とぼんやりと気付く。兎にも角にも目の前には小さな一尾が転がっていた。
 コインを落とした先にきらきらと輝きながらのたうち回っているものだから、つい珍しくて眺めてしまったけれど。その一尾の生存の危機だろうことに思い当って急いで拾って水を求めた。路の横の門を構えた一軒に水を下さいと声を張って求める。てっきり衛兵然の物々しいのが出てくるとばかり期待して緊張していたが、ひょっと顔を出して用を伺いに来たのは品の好い若い女性であった。女性は私の目を見てからくすくすと少し笑って、水なら直ぐにお持ちしましょうと言って会釈してから、ひょいっと消えた。大層なことだと滅多なことを思い巡らし門の前で待ってしばらくすると、なかから品の好いガラスのコップに入った、多分天然水だろう、透明な、これまたきらきらとした水が出てきた。
 ありがとうと言って私は手に持ったままだった小さな一尾をその中へと入れた。先ほど水をコップに入れ恵んでくれた品の好いその人は、「えっ」とも「きゃっ」とも分からない声で驚いてから、先ほどまでの友好的な笑みをかなぐり捨てて、声を張って私に何をするかと脅した。
 なるほどと思い当たって事の次第を説明すれど、女の態度が軟化するはずもなく、コップはそのままお持ちくださいと、これまた丁寧に吐き捨ててから立派な暮らしの中へとぴしゃり戻った。
 固く閉ざされた門の前で、小さな一尾は天然水の中でパクパクとし始めた。私が飲むよりよっぽど好かろうと、思ったままに立っていた。

2023.12.15 いさな
雪屋双喜

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