【まいっか生活】距離感と時短
最近の私は、スーパーに買い出しに行くのが億劫でしかたがない。
だから、冷蔵庫が空っぽになるまで(作る材料がなくなる状態)、なんとかあるもので凌いでいる。
夕食に出す料理の見栄えは悪いけど・・・
お腹が満たされれば「まーいっか」状態丸出しなのは否めないけど、気にすることなくギリギリまでスーパーに行こうとしないのだ。
それくらい家に引きこもって仕事をしている。(かっこつけてみた(笑)実際はそーでもない)
フリーランスで在宅時間が増えてからというもの、家が大好きになりすぎて外に出るのが面倒になっているのだ。
そのため、狭い世界で生きがちになっていると感じてはいる。
とある日、冷蔵庫に夕食を作る材料がなーんにもなくなり「とうとうスーパーに行かないといけないか」っと重い腰を上げた。
目と鼻の先にあるスーパーへ、車を使って行くのがもうすでに面倒くさいという気持ちの現れだ。
***
スーパーに到着してから買うものを決めていないため、あっち行ったりこっち行ったりと無駄な動きが多い。
やっと何日か分の材料をカゴに入れて、レジに向かった。
すると、ほぼ同じタイミングで同じAレジの場所に入る人がいたのだ。
反射的に私の方が距離が遠くにいたので、私はBレジに方向転換をした。
無意識に。
すると、相手の方の視線を感じたのでふっと、また無意識に目線をやると笑顔で(よかったの?)っと言わんばかりに私を見ていた。
お客さんの表情を見てAレジの店員さんも私に笑顔で(大丈夫でした?)と言わんばかりに気遣ってくれたのだ。
さっきまで淡々としたいつもの時間や空間だったのに、2人の笑顔を見た瞬間、空気の流れが変わった。
私の胸の奥の奥の方が温かくなる・・・
そして私は、手で「どうぞ、どうぞ」っと動作で表現をした。
満面の笑みで。
ほんとうに何気ない1コマ。
他人からすると些細な事かもしれないけど、私にとっては心がほっこりする瞬間だった。
帰宅してからというもの、何気ない出来事が私の気持ちを上げてくれ、仕事への意欲となったのだ。
私は何気なく些細な事が影響されやすいと感じた日だった。(笑)
気づかいには、「使う」と「遣う」の漢字で意味合いが変わってくるのだ。
年齢を重ねるごとに「気使い(遣い)」をすることが多くなったように思う。
コミュニティーや公共の場、職場など。
多種多様に。
年齢を重ねるというのは、過去が増えて行く。
それと共に経験が影響して「気使い(遣い)」が多くなる。
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