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自己を肯定するのに理由はいらないらしい

「自己肯定感」とはなにか。ずっと考えていました。

自己肯定感のある人になってほしい息子たちのために。そして、自己肯定感があるのかないのか、いまいちよくわからない自分のために。

それで、最近気づいたことがあります。何を今ごろ、というようなことです。

自己肯定感について読んだり聞いたりするとき、「根拠のない自信」とか「自分なら大丈夫、と無条件に思えること」という表現をよく目や耳にします。

この「根拠のない」や「無条件に」の部分。今までなぜか、読み飛ばす・・・というか、重要視していなかったのですが、これこそが自己肯定感の根幹なのではないか。本当に今さらという感じですが、気づきました。


私は以前、自身の「自己肯定感らしきもの」について書いたことがあります。

私の「自己肯定感」は、心の中にある「自分がそんなにだめな人間ではない証拠」が入った箱。そう書きました。

「証拠」。言い換えれば「根拠」であり「条件」。

ああ、私の「自己肯定感らしきもの」はやはり「自己肯定感」ではなかったのだな、と腑に落ちました。本物の自己肯定感は「証拠」など必要としないのだ、と。

なにか違うなとは思っていたので、特にショックもなく納得です。それに、たとえ「らしきもの」に過ぎなくても、私の「箱」が私に自信をくれる大切なものであることに変わりはありません。


自分のことはさておき。無条件に「自分ならやれる、大丈夫」と思えたら強いでしょうね。息子たちに自己肯定感のある人になってほしいという思いが、ますます大きくなりました。

私は息子たちの自己肯定感を守りたい。そのためにも、彼らを無条件に愛し、信じ、支えていきます。

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