贔屓選手の新背番号に思う「こだわらない」という「こだわり」

川崎フロンターレの2022シーズンの新体制発表会見があり、YouTubeでの配信を見ました。

「会見」じゃなくて「祭」という名前にした方がいいのではと思ってしまう、約5時間にわたる盛りだくさんすぎる内容のイベント。でもやはり最大の目玉は、選手の背番号発表でしょう。

多くのファン・サポーターが待ち望んでいたであろう、脇坂選手による中村憲剛さんの「14番」継承・・・。ユース時代から応援していた人の気持ちや、ご本人のかける思いなど、想像すると胸が熱くなります。

その一方で、山村選手好きの私としては、昨シーズンの「28」から「31」に変わったことも決して小さくはない衝撃を伴うニュースでした。
(背番号「1」から順に発表されて、「28」のところで新加入の五十嵐選手だったときに「え?え?山村くんいない?契約更新したよね?」と軽く混乱しました・・・)

2019、2020シーズンの「34」から、昨シーズンは「28」に。そして今回は「31」という、微調整的な変更。それぞれ何か意味があるのかもしれませんが、特に今シーズンに関しては、若手に少しでも小さい番号を、と譲った?とも思ったり。

背番号にあまりこだわりのない方なのかも、と「34」だった頃から思っていたのです。勝手なイメージなのですが、そういう形での自己顕示欲はなさそうな方のような気がして。

もちろん、本当のところはどうかわかりません。ただ、大半の選手が自分の背負う数字に誇りや責任やいろいろなものを乗せているであろう、そして、今回きっと並々ならぬ決意をもってレジェンドの数字を継承した選手もいる中で、「背番号にこだわらない」というのは、それもある意味強い個性であるように感じます。

そこに重きを置かない、という価値観。「こだわり」と同じくらい、その人らしさを表しているのではないでしょうか。あるいは「こだわらない」も「こだわり」の一種であるという言い方もできるのかも。


では、私の「こだわっていないこと」ってなんだろう?

いくつか思い浮かんだのですが、そのうちのひとつがnoteでの名前です。

今の「かぎね」にしてから3か月ほどたつのかな。一応由来はあるのですが、その由来にも大して思い入れがあるわけではなく。字面や響きも特に気に入っているわけではありません。

他にこれという名前が見つかったら変えるかも。でもこのままでも別にいいかな。その程度の思いです。

私は子供の頃から自分の名前が好きになれず、山ほどあるコンプレックスの筆頭でした。漢字辞典をめくっては理想の名前を妄想していました。そんな私がnoteの名前にはこだわりがないというのは、自分でも意外なことです。理想の名前、つけ放題なのに。

noteで活動する上で、名前には重きを置かない。では何に重きを置いているのかと言うと。まず大事なのは、リアルの知人が見たとき、名前に私を連想させる要素が含まれていないことです。見る人が見れば私とわかるかも、と思ってしまったら、書くことにブレーキがかかりそうで。そう、書くことそのもの、そして書いた文章がなにより大事。

「こだわっていること」と同じように「こだわっていないこと」も掘り下げてみると、その人の価値観について新しい発見につながることが意外とあるのかもしれません。


山村選手の背番号変更は「こだわり」ゆえの変更なのか、「こだわらない(というこだわり)」ゆえの変更なのか。昨季の変更のときも理由を知りたいと思っていたのですが叶わずじまいで。今回はいつか何かのインタビュー等で聞けるといいな。と、ここに小さく希望をつぶやいておきます。





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