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卒業はいつも希望に満ちた旅立ちではない

先日上の子が小学校を卒業したのですが、式終了後の本人のテンションがあまりにも低くて。

連日続いた式の練習やこれから始まる中学校生活に前向きな感情を持てていない話は聞いていたのですが、写真一枚撮らせてもらえないとは。

式では真剣な表情で堂々としていたし、受付時にもらった手紙もしっかりとした内容で率直に感心しました。やらされ感なんてみじんも見せなかった。でも話をふられるのも嫌だろうなと思うと、ほめることすらためらわれて。

行き場をなくしたメッセージはTwitterに流しました。


自分の卒業式のことはあまり記憶にないんですけど、私もきっと今の彼と同じような感じだったはずなんです。人生の節目で感極まったり周りの人に感謝したりといったことを私が自然にできるようになったのは、子どもが生まれてからだと思う。

子ども時代。自分のペースや希望に関係なく月日は流れ、時がくると次のステージが一律に準備されて。変わっていく自分が恥ずかしく、大人になりたくなかった私。きっと卒業式では「感動」や「感謝」ではなく「気後れ」しかなかったはず。

節目のセレモニーでは必ずといっていいほど感動的な演出がされるけど、本人の気持ちとの乖離、置いてけぼり感が大きいと、その「演出」は「強要」になりえると思うんです。

親になった自分ができるようになったからといって、卒業だぞ感動しろ感謝しろ名残を惜しめ、ってわが子に対して思うのは勝手すぎる。だから、そうかじゃあ帰ろ、と言ってそのまま学校を後にしました。


正直、低テンションな彼よりも親である私の方が「中学校いやだ」と思っている自信あります。私が通うわけではないんですけど、ほんと中学校にはいい思い出がなくて。

入学予定の中学校には説明会で一度行っただけですが、そこにある何もかもが私の「中学校」のイメージそのままで。「え?今令和でしょ?」って絶望的な気持ちになりました。

ここ何か月か、思い出したくもない先生や同級生の顔が次々に浮かんで、傷ついた言葉や出来事が次々によみがえってきて。怒りがこみあげてきたり、ぼろぼろ泣きたくなったりしています。これ3年続くの?やだなあ。

つらい気持ちを誰にも言えなかったことがいちばんつらかった。わが子にはなにかあったときに打ち明けられる人ができるといいな。母というポジションは微妙な立ち位置だとは思うけど、私に話してくれたなら全身全霊をこめた「わかる」で応えるよ。


もうほんとにがんばらなくていいんで。とにかく省エネ低空飛行でなんとかやっていこう。わが子にはこう伝えたいです。

とはいえ、あなたは私ではないんでね。「お?意外と中学校楽しいかも!」となることも全然ありえると思っています。そのときは、私のことなんて放っておいてどんどん青春エンジョイしておいで。

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