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ジャッキーチェンになれるように

私はジャッキーチェンになりたかった。

厳密に言えば、ジャッキーチェンとインディージョーンズになりたい。
それが私の幼少期の生きるモチベーションだった。
毎日毎日幼稚園から帰ってきては、
行き場を失ったガラクタが押し込められ物置と化した家の2階の一室に駆け込み、
映画のテレビを録画した親父のビデオテープがびっしり詰まったダンボールを漁った。

私は昔から運がいい。

引き当てたのは、ポリスストーリー。

目の前で繰り広げられる今まで見てきた戦隊モノ、仮面ライダーを
一瞬で忘れさせるほどの豪快なアクション。

アクションとアクションの数秒の間に息のあった餅つきの返しのように
挟まれるユーモア。

カッコいい。。。

細い道を自転車で駆け抜けるジャッキー。
自転車を ブンブン振り回し敵をバッタバッタと倒していく。
次の日からこのシーンを再現したくて自転車に乗る練習をしたのは言うまでもない。

それから少林寺、インディージョーンズを引き当てた私は
近所の少林寺拳法クラブに入会し、
ボーイスカウトに入った。
流石にホグワーツのような魔法学校は見つからなかったが。
少林サッカーを見れば、少林寺習ってるしこの技出来るかも!
とサッカークラブにも入った。

あの頃の行動指針はすべてが映画の中の人物になりたい衝動だった。

映画って私でも作れるのかな。


そんな甘い考えをいつの日か持ちはじめ、
映像の業界に飛び込んだ。


最近は映像に対して、
私自身の見方は大幅に変わり、
あーこう言う感じね、
こういう表現もあるんだと俯瞰してみることも多くなった。

それは自分に関係してないところで起こっている何かで
自分に迫ってくる感覚自分も主人公でいた感覚がまるでない。


つまんねぇ。


ふと気づくとすべての情報に対して冷めている自分が。

何を見ても“自分”に響いてこない。

もっと肉体的なもっと危機感に似た感触のある“体験”としての映像が欲しい。
そう思うようになりました。

グッとくる映像

感覚的に言うとこういう感じ笑


それはなんなのか探し続けたいと思っている今日この頃。

ぶっちゃけ映像は時間潰しとして位置づけられている節も多い昨今。

もっともっと楽しい暇つぶしになるように。

たまにはその時間潰しで僕が自転車に乗れたように

少し人生が前進できるように。

これからの映像は絶対面白いと信じて、

誰かのジャッキーチェンになりたい。

頑張ろうっていう決意表明です。笑



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