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相手の心にエネルギーを与える「コミュニュケーション」

おはようございます!ビジネス作家の臼井由妃です。

「ごめんなさい、心にもないことを言ってしまいました。本当にごめんなさい」平謝りする私に「心にもないことが、口から出るはずないじゃないか」そう言うなり、相手はますます不機嫌に。私は言葉を失いました。相手の言うことは、もっともなのです。

失言や勘違い発言、暴言の類が、ふってわいたように口から出るはずなどありません。少なからずそう考えている、認識している、物事の良し悪しは別として自分の想いが、言葉になるのですから、「心にもないことを言ってしまいました」は、余計なひと言や残念な発言を、謝罪する言葉にはならないのです。先ずは、そのことを理解してくださいね。

もちろん、相手の気分や状況によって、同じ発言でも「余計なひと言」にならない場合もありますし、伝える人との関係や声のトーン、表情で、気にならないこともあります。

コミュニュケーションをはかる際には、「相手に相応しいとびきり新鮮なものを与える」という視点を、持ちましょう。

与えるとは、明るさ・あたたかさ・優しさ・応援・やる気・勇気・思いやり・尊敬の念・愛情など、受け取った人は明確な自覚はないですが、「何となくいい気分になる」ということです。「相手の心にエネルギーを与える」という意味でも、あります。
日頃からそんな意識をもっていると、「余計なひと言」は、なくなっていきます。そうはいっても、つい口がすべる。悪気はないものの、感に障る発言をしてしまうことは、あります。

先に記した「ごめんなさい、心にもないことを言ってしまいました。本当にごめんなさい」は、めきめき仕事で成果をあげ、信頼感を増してきた知人男性に「貫禄が増してきましたね」と、ほめ言葉の意味で伝えたのを
「痩せないと出世できないぞ」
「欧米では肥満している成功者はいない」などと、体型を上司に指摘され神経質になっていた矢先に、伝えてしまったから生じたことなのです。

「貫禄」とは、体つきや態度などから感じる重みや風格。身に備わった威厳。ですから「貫禄が増してきましたね」という、言葉自体は悪い印象を抱くものではありませんが、「見かけは貫禄たっぷりだけどね」「体つきは貫禄があるけれど」などと、肥っていることをからかったり、ばかにして使うことがあるので、体型に悩みがある人は不快感を覚えることが、あるのです。私はその配慮が足りず、相手を傷つけてしまったというわけです。

「貫禄が増してきましたね」も、「風格が増してきましたね」や「威厳を感じます」ちょっとくだけて「オーラを感じます」「やる気がみなぎっていますね」と伝えたら、彼は、いい気分になっていたでしょう。(明日に続く)

コミュニュケーションをはかる際には、「相手に相応しいとびきり新鮮なものを与える」という視点を、持つ~
最後までお読みいただきありがとうございました。臼井由妃

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