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ずっと止まっていた夫婦ブログを再開しようと思いますが、まずは自由に書いてみません?~夫りょういち編~

一年も止まったままになっていたんですねぇ、このブログ。

僕としては全然ブログを止めたつもりもなく、止めたいと思った事も無いんです。

この一年の間には「あー、これ書いてみたいかも、この感覚を表現してみたいかも!」みたいな事は幾度となくあったんです。

ですが、元来相当な面倒くさがり&行動力無しののろまな僕は時間はあるのになかなか動きません。

一方、この夫婦ブログの他にものソープ嬢時代の自叙伝小説「私のコト」編集や、蓮華舎さんからの依頼で寄稿している「子育てなんかできない!」などなど、その他にも幾つかのブログをちゃくちゃくとこなし、充実した執筆生活を送る我が奥様、ゆっきぃ。

そんなゆっきぃの邪魔にならないだろうか?と気後れ交じりと言い訳交じりで「ゆっきぃの方から又ブログに誘われた時にでも書けば良しとするかぁ~」みたいに何時もの受け身姿勢を繰り返しておりました。

そして気がつけばあっという間のまる1年。

とまあ、そんな感じです。

そう言うわけでございまして、

このブログの再開を待っていてくれたかも知れない、ごく少数、超レア、劣勢派でちょっと変態な皆様、お久しぶりでございます。

ゆっきぃの夫、りょういちです。m(__)m

又いつストップ状態になるかわかりませんが、凝りもせず始めさせて頂きますので、お付き合いの程よろしくお願い致します。

さて、本題。

と言っても今回の夫婦ブログ、ゆっきぃから「これについてどう思う?」「りょういちさんの意見はどうですか?」的なものが何も無いようで。

基本的には何かテーマを決め、お互いの思っている事や考えている事を交換日記の様な形式で書いていきましょうか?というのがコンセプトなブログなのですが(確かそうでした)、ゆっきぃも久しぶりのスタートのせいか何なのか自由気ままに書いてる様で。こちらも何とはなし、そんな感じのバトン返しで行こうと思います。

先ほども書きました通り、ゆっきぃは幾つもの執筆活動を同時進行しています。読者の方はご存知だと思いますが、そのブログやFacebookの投稿内でやたらと目につくのが夫である僕、そして娘の空ちゃんに対するゆっきぃの発する超ラブラブな発言。

「りょういちさん好きすぎる」とか「娘9歳、可愛すぎてヤバい」とか、とにかくSNSという公共の場で恥ずかし気もなくバンバン惚気倒すのです。

いや、自分の子供を褒めまくるお母さんは割と拝見します。

しかし夫に対してあそこまで褒めまくる奥様ってあんまり見ないような…

世の中には友達同士で夫の事をコケ落とすのが日課で趣味、みたいな方も沢山いらっしゃる様で、それを思えば僕としては身に余る光栄、大変ありがたい事なのです。

ただ、ゆっきぃのラブラブ連射砲の球数の多さ、そしてそのパワーに周りの人からも当然反応をいただきます。

ただ大方の反応は、ちょっとした勘違いが多い様なんです。

例えば、

「お前んとこ…凄ぇなぁ…」「マジかよ?信じらんねぇ」ですとか(←これ大概男性側の反応)

「藤山家がうらやましい」「理想の夫婦像です」(←大概は女性側の反応)ですとか。

しかしこれ、勘違いをもとにした発言が多い様なんです。

どんな勘違いかと申しますと、

「この夫婦は結婚して何年も経つのに何時までも恋愛初期のカップルみたいにドキドキしているんだろうなー」

といった様な具合に。

そうじゃないんです。

ゆっきぃの発する「亮一さん好きすぎる」とか「超優しい!カッコいい!」とかってもっと日常に流れているあるものに気付いた人の発言なんです。

恋愛初期の皆が大好きな「ドキドキ」「ワクワク」を諦めた状態なんです。

そしたらその後に残っていたものなんです。ただ普段は「ドキドキ」「ワクワク」って派手で目立ち過ぎるのでその陰に隠れてしまって残るものがなかなか認識出来ない。

その残ったものっていうのは、凄く地味で静かなんですが、凄くパワフルで「ドキドキ」「ワクワク」すら含んでいて、表現するのが難しいものなんです。

それは何なのか?

ところで、「ドキドキ」「ワクワク」するって恋愛の他にも色々あります。美味しい物食べに行く!とか綺麗でリッチな温泉宿に泊まる!とか。恋愛だろうが、旅行だろうが「ドキドキ」「ワクワク」は同じです。多少趣は違うかもしれませんが同じく刺激的で魅力的な現象です。

そして、ゆっきぃも僕も「ドキドキ」「ワクワク」っていう刺激が大好きです。だって幸せじゃないですか?「ドキドキ」「ワクワク」って。

あれ?さっき「ドキドキ」「ワクワク」を諦めたって。

そうです。ウソ。「ドキドキ」「ワクワク」を諦めたなんてウソです。諦められるはずがありません。逆に大募集中です。

ただ「ドキドキ」「ワクワク」「幸せ」ってタチのあまり良くないカラクリがあったんです。

それは「ドキドキ」「ワクワク」「幸せ」を追う事ことが苦しみのもとだったんだって事です。

何かの状態を求めちゃうって事は”今じゃダメ”って事なんです。”今じゃ不十分”って言ってる事になってしまう。今にしか生きられないのに。

だったら追わなきゃ良いじゃんっ!!って思いましたが無理なんです。幸せを求めるエネルギーが人間そのものですから。

”幸せを追わなきゃ良い”と思って追わないようにする事自体が幸せを追いかけちゃってる現象で、それでは現状否定で… って、結局グルグルまわっちゃうんです。

「今に意識を向ける」、「今を大切に生きる」

これある程度有効です。ですが無理なんです。そうやって立派に幸せを追いかけてる。また現状否定しちゃってるんです。

「ドキドキ」「ワクワク」「幸せ」を追いかけていいんです。だってそれが人間ですから。今に意識を向け続けるなんて出来ません。無理です。

ただ「ドキドキ」「ワクワク」「幸せ」のもう一つのタチの悪い所は、永遠に掴む事が出来ないって所なんです。掴んだと思った端から過ぎ去っていく。そしてまた次を求める。「ドキドキ」「ワクワク」「幸せ」そんな経験を掴んでやろうと。

でも何時も経験は過ぎ去るんです。掴める様な経験は無いんです。

そのくせ人生は経験で出来てる。

経験以外に人生が無い。

人生が経験。

経験100%。

どんなに好きな人と一緒になっても、やっと望んだ結婚生活でも、掴んだつもりがやっぱり日常。経験は過ぎ去っていく。派手な事は何も無い。


以前、ゆっきぃと「幸せ」について話していました。

「幸せ」って何だろうね?と。色んな人が様々に表現する「幸せ」。

僕らの答は「幸せなんて存在しないんだ」でした。

誰が「幸せ」なんて言葉を創ったんだろう?そんな言葉があるから求めてしまうじゃない?ありもしないのに。

人生に「幸せ」なんてもともと無くて「今は幸せじゃない」という思いがあるだけなんだよ。

きっとその思いが問題だと思って、人は掴めない答えを掴もうとしちゃうんだね。それが問題なんだね。

”幸せになりたい”と思って諦める事は出来ないけど”幸せなんて初めから無い”はちょっと楽になるね。

こんな感じの会話でした。

「人生に幸せは存在しない」だなんてなんだか悲観的な印象を持たれるかもしれませんが、幸せが無いって事は不幸もありません。

全てが同じです。

全てが不幸ならそれは不幸ではありえません。

全てが不幸ならそれは普通で、全てが幸せです。


去年、僕は50歳になりました。自分でもビックリしています。あの50歳です。「まさか自分が50歳を迎えるとは!」やっぱりくるんだなぁ…と。

ここ最近、以前は感じなかった身体の不調や衰えをどうしても感じる事が増えました。

少し良くなってもすぐ他に不調が現れたり。ちょっと運動したり食事に気をつけたりしても誤魔化し切れない衰えを確実に感じるのです。

それはとても嫌な事で寂しい事で、出来るだけ若々しく元気でいたいと思うのです。気をつけられる事は気をつけようと心掛けています。

でもそんな心掛けを裏切られる度に「ああ…こうやってどんどん流されていくんだなぁ…」「どんなに望んでも留まっていられないんだなぁ…」というような諦めに似たような思いもやって来るのです。

こうでありたい、こうでいたい、という思いはたまに叶えられたかの様に思えても何も掴めずにまた過ぎ去る。実はもともとただ流されているだけで何もコントロールなど出来ていなかったのでは?と。もともと何かを掴むような何かをコントロール出来るような”僕”など幻の様なものなのでは?と。

そんな時少しだけ大きな宇宙の流れを信頼できる感じがするのです。

大きな流れを信頼すれば良い事が起きる、という事ではなく、もともと良いも悪いも無く、幸せも不幸も無い。大きな流れがあるだけ。何も求める必要の無い大きな流れ。

そんな抗うことの出来ない大きな流れに居る僕達なんだなぁ、と。

そんな時に「なんだか幸せだなぁ」という思いが来るのです。

そんな、「幸せ」やら「諦め」やらをこの夫婦ブログを読んでくれる人とか藤山家に遊びに来てくれる人達にすこしずつでも話していけたらなぁ、と思います。





藤山家嫁ゆっきぃ 最愛の旦那さん亮一さんと最愛の娘(7歳)空さん、義理母きみ子さんの4人&愛猫2匹でめっちゃ幸せに暮らしている。亮一さんと私、双方から1つのテーマについてやりとり形式のブログを書き綴っていきます。 夫婦のこと、SEXのこと、子育て…亮一さんの面白い視点に注目!