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海部刀

私は日本刀なら無節操に何でも好きですが、ベテラン愛好家の話題にはちっとものぼらない、ちょっと他とは異質な「海部刀」が大好きです。初心者なので詳しくはないのですが、今まで知ったこと、感じたことを書きたいと思います。私のところに、縁あってやってきた「海部刀」との出会いも紹介してみようと思います。

ナイフメイキングを始めた頃、峰の部分に滑り止めの溝が切ってあるものや、刃が波刃のものを知って作り方に興味を持った。
そのようなナイフについて調べていると、なんと棟が鋸になっている日本刀の写真が目に飛び込んできた。
日本刀には子供の頃から興味があったが、そんな奇抜な刀の存在は初めて知った。それは “海部刀”という刀だった。
有名な作刀地以外の地域で作られた「脇物」とか「郷土刀」という分類らしい。

私が知った脇指と短刀は江戸時代の作で、海部刀のふるさと、徳島県海陽町にある博物館に展示されているものだ。見れば確かに棟が鋸になっている。
色々調べると、他にも身体に括り付けて海に潜るため、刀身に穴をあけて縄を通したという仰天エピソードも出てきた。郷土刀というものは全国各地にあるようだが、鋸刃だの穴だのという特徴は他に聞いたことがない。
短刀の刀身の作りも、片切刃造りといって、断面が非対称のものが多かったらしい。今でいうと漁師マキリが近いと思う。もともと水軍御用達として数多く作られたようで、超実用重視の刀だったのだろう。

現在、日本刀は美術品色が強く、美しさが重要なので、海部刀のような実用刀の評価はそれほど高くないようだ。しかし、驚愕エピソード満載で道具に徹した潔さを、私はすっかり好きになってしまった。
道具好き刃物好きが高じてナイフを手作りする立場になってから知ったので、刀を道具として見てしまう癖が先についてしまったのかもしれない。
阿波と同じく、水軍が行き来していた瀬戸内海の波に洗われて育った自分としては非常に親近感を覚える。

学生時代、美濃の関に住んでいたので“関の孫六兼元”や古式鍛練もその頃知ってはいたのだが、刀の系統などの知識が皆無だった私の頭には、海部刀が真っ先に擦りこまれた。
その後、日本刀にますます興味が出てきて、色んな本を読んだり、鑑賞会へ出かけたりした。そして日本刀の主な分類「五箇伝」を知り、そこから派生した系統のものなどを知った。色んなことを覚える間、海部刀のことは、頭からしばらく消えていた。

昨年の正月休み中に突然、海部刀のことを思い出した。
今でも存在しているのだろうか?とネット検索してみた。
扱いとしては、海賊(水軍)御用達の和製サバイバルナイフといったところだろうから、全盛期の頃のものは消耗されて殆ど残っていないだろうと思った。

探し初めてすぐに、新々刀期の海部の短刀が目に飛び込んできた。
それは江戸時代後期の海部刀で、全盛期と違い、もうその頃にはサバイバルナイフのような扱いではなかったようだ。
刀工の銘はなかったが、切付銘というものが刻まれていた。長寿を表す縁起の良い四字熟語の銘だ。驚いて目を見張った。切付銘にはなんと自分の名前が含まれている!!
今まで色んな刀を検索してきたが、そのような銘は初めて見た。刀身も茎もすらっと細身で、とても好みの姿をしていた。鎺はなく白鞘のみの付属で、拵えが無い分、価格も控えめだった。さらに驚いたことに、扱う会社の住所が自宅から徒歩5分、お祭りで同じ山車を曳く地区だった。そこは事務所のみで刀を展示している店舗はないので、今までそんな身近に刀剣店があるのを知らなかった。
これはもう、その短刀に「うち、ここにおるけぇはよ呼びんさい」と誘われているとしか思えなかった。

しかし衝動買いするには少々高額なものなので、日本刀に詳しい友人に意見を聞くことにした。もちろん、新々刀期の海部刀について自分でも可能な限り調べてみた。
海部鍛冶は一度衰退したものの、江戸時代は阿波蜂須賀家のお抱え鍛冶として、徳島城下で鍛刀したらしい。他所とちょっと違う拵えを付けて、贈答用にされたものも多いと聞いた。この短刀も、刀工銘が切られていないということは、贈答品として作られたのかもしれないが、本当のところは良くわからない。
友人も、鎺がないぶん刀身の傷付きが少ないだろう、保存刀剣鑑定書が付いたものなので、購入も安心だろうとの意見だった。また、こういう美術骨董品的な品物はタイミングが命なので、迷っている間に他の人に買われると二度と同じものが出てこないから、手付金を払うとか、問合せで購入の意思表示をしておくといいとも言っていた。海部刀は刀剣界ではそれほど評価は高くなく、飛ぶように売れるものでもないと思うのだが、短刀は初心者でも買いやすいので油断できない。まず自分の名前が銘に入った刀に出会うのは一生に一度きりだろうと思ったので、購入を決断した。

歩いて5分のところから、数日後に実物が届いた。
海部刀という荒々しいイメージとは違って、地鉄、刃文ともに落ち着いた印象の、すらりとした美しい短刀だった。
穏やかな人生を願って、守り刀は直刃調のものが好まれるらしいので、この短刀もそうかもしれない。
刀剣に詳しい人が見たら、地味で面白味に欠ける、と評するかもしれない。しかし私にとってはこの上ない守り刀である。
後日、友人の研師に刃取り研磨をしてもらったら、刃中の働きがよく見えるようになった。
この不思議なタイミングで迎えた海部の短刀は、私の一番最初の刀になる。
海部刀に益々興味が湧いてきた。
コロナが終息したら、ぜひとも徳島県海陽町の博物館に、棟が鋸になっている海部刀を観に行きたい。

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