見出し画像

違和感のとなりに座る

ある人とある人が似ているなと思って考えてみたら、2人共、自分が感じた違和感を放っておかずに、自分のそばに置いている人だった。だからものごとにも人にも真摯だし、ときにはそれがしんどそうに見えたりする。

違和感は気のせいではない

「あれ?なんか違うな」「何かがざらっとするな」と思ったとき、「そんなことない!」と自分が感じたことを振り切ることがある。気のせいにしたり、見なかったことにしたり、諦めたり。

違和感を自分のそばに置くと、面倒くさい。相手に面倒くさいことを言ってしまったり、自分に対してイライラしてしまったり。相手とも自分ともぶつかることがある。

でもそういうときこそ、違和感の中に何かがある。何かがありそうなのにそれを見ないようにして、時間や都合を優先させてしまうと、何かを見失ってしまうかもしれない。

抱えてみたら見えるもの

ざらっと引っかかるのは、きっとそこに何かがあるから。見ないようにすることもできるけれど、少し立ち止まって、その違和感のとなりに座ってみたい。

私は短気でいらないものは急いでゴミ箱に捨ててしまいたい。でもここで踏ん張る。ざらっとに出会う。そこに何があるのかはわからないけれど、そこからにはきっと何かあるはず。

違和感を放っておかないことは、自分を大切にすることだと思う。そこに何かがあるから、きっとざらっとする。違和感を通して、自分の中の自分とつながる。そうしてみてやっぱり違ったら、また別の方向を見たっていい。別の方向を見るための違和感かもしれないから。

そうやって違和感を受け止めながら、旅をしていく。

この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?