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日曜、新宿御苑で(ある事を伏せて)

 珍しく出かけていた。
 春は近いが未だ冬の新宿御苑。新宿門から入園すると、草木は枯れており、風景は寒々としていた。門をくぐってすぐ目の前に広がる自然の風景には、駅からビル群を抜けて歩いてきた身には突如として視界がひらける爽快さはあるものの、生命の元気はなく、視覚的な華やかさもなかった。茶色い芝生の上では老若男女の人々が遊んだり寝そべったりしていて、時おり各所で笑い声もあがってはいたが、全体として新宿御苑はひっそりとした空気感が漂っていた。
 その後、母と子の森・日本庭園・風景式庭園・整形式庭園、4つのエリアに分かれる園内を歩き回ったけれど、派手な景色は待ち受けていなかった。見るべき場所というのは事前に用意されておらず、ここでは自分で角度や距離感を調整し、水面の輝きや木枝の折れ具合など風物の細かなところに趣を見出す楽しみ方が求められているようだった。たしかに、対象物から一歩離れ近づくごとに良し悪しが反転していく。考えてみれば、ネオンやモニュメントなど演出のある観光スポットというのは現代的なもので、まだ自然が公園に閉じ込められていなかった数百年前ではこうした見方が基本だったのだろう。地面すれすれのところまでしなって再び持ち上がった枝を額縁代わりに、池の向こうの日本建築をおさめてみると、美しい画になった。電飾的な観光スポットは誰が見ても同じ感想を抱くように創られているが、非自己主張的で明確な美景のないこの場所の面白さは個人の視点に委ねられていた。だから、景色が鏡となってその人の感性を反射する。僕はといえば自分の視点に特別面白さを感じていたわけではなく、春に来たほうがいいな、という味気ない感想を歩き回るうちに抱いていた。
 この日のことを書くつもりはなかったので正確には場所を覚えていないのだが、整形式庭園に向かう途中だったか、しっかりとした幹がまっすぐ生え伸びた木々の間を通る道があった。自分の、というよりかは人間の身体の小ささを感じさせるそれらの木々は、まじまじと見上げてみれば倒れないことが不思議であった。積み上げたCDはある高さになると不安定になって倒れてしまう、それと比較して木々が倒れずその場所に何十年何百年も植生しているのは大地に根を張っているからで、きっとこの地中に潜り込んだ根がなければ、人類は天を衝く建築物の高さを誇ることはできなかった。基礎を固めて土台を完成させてからその上に骨組みを作り高層の建物を築く、この建築工法を発見することはできなかった。間を通り抜ける際、まっすぐに高い木々はビル群のように見えたが、実際はその逆で、ビル群が木々の模倣なのだ。
 僕は草木の種類に疎いので、何を見ても「草」であり、「木」だ。あれが杉でこれが欅だと分類することができない。昔から小説を読んでいて、草木の種類を記した文章は自分には書けないものなので憧れた。一度は勉強しようかと思ったけれど、結局勉強していないので本心では植物にまるっきり興味がないのだろう。なにかにつけて俺はいつまでも憧れているだけで頑張る気がないので、現在地点は屈辱的ではあるけれど、やっぱり心のどこかでは今の自分自身に納得しているに違いなかった。
 数ある憧れのうちに「日曜日の過ごし方」への憧れはあっただろうか? 新宿御苑は家族連れ、カップルが多かった。ベンチに座り、小道の向こうで遊んでいる3人家族を眺めた。女の子が布のついたボールのような玩具をクルクルと回して投げるのだが、それが父親のところではなく毎回変な方向に飛んでいく。父親は、その様子を眺めている母親と共に笑っていた。コントロールのきかない連投を続けた女の子自身も笑っていた。混じり気のない笑顔を見て、俺はああいうふうに笑うことはできないな、と思った。彼らを妬む気持ちはない。幸せな人はそのまま幸せでいるべきで、転落する人が少ない世界であるほうが絶対にいい。笑っている、というだけで幸せとは限らないが。しかし、俺より笑う機会は間違いなく多いだろう。羨む気持ちも、今はもうない。ベンチを離れて歩き、大学生くらいだろうか、カップルの後ろを通った。会話は弾んでいなさそうで、もしかしたらふたりはまだ付き合っていないのかもしれない。なにをしゃべろうか悩んでいるふうの男のその表情を見て、ふと、ああ俺は降りたんだな、と思った。そのとき初めて思ったことではない。俺は一度思ったことを初めてのように思って、何度でも分かり直す。人と関係を築くにはああした戸惑いが少なからず必要で、おれは戸惑っている自分とその時間をなによりも惨めだと感じた。だからそうした戸惑いを要求してくる世界から俺は自ら降りたのだった。みんな頑張っているな、と思った。悩みながらもしゃべろうとすることをやめた俺は、きっと園内にいる誰よりも頑張っていなかった。
 生きていくうちに分かってきたこと。俺には資格がなかった。これまでずっと、なんで誰も僕を相手にしてくれないのだろうと寂しかったが、俺には人と関わる資格がそもそも与えられていなかったんだと思いついたとき、はっきり言えば、これまで言われてきたどんな言葉よりも感激したのだった。そんなことはない、と言ってくれる人もいるかもしれないが、正しくなければここまで腑に落ちることはなく、なにより自分の向き合ってきた現実がひとつの証明で、もう気休めの言葉ではおれの気はすでに休まらなくなっていた。

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