劇団くるめるシアター「ふるさと」の振り返り
公演初日。家に帰ると母が料理を出してくれた。今日が本番だったんだよねと言うと、売上は?と母。カンパ金の大体の金額を言うと、「じゃあバイトした方がいいね」とだけ。ああ、そういえばこの家はこうだったわと思い出した。
劇団くるめるシアター第86回本公演 「ふるさと」の脚本・演出を担当した。正直くるめるではそんなに活動しないつもりだったのだけれど、演劇を続けていく上で一度は脚本演出を経験した方が良いだろうと思い今回の公演の担当に名乗りを挙げた。友達同士で集う企画公演よりも、無作為に人が決まる新人公演という形式が私にとっては魅力的だった。もちろんサークルでの公演は自分の意志のほかにもサークル員としての責任があるため好き勝手はできない。しかし、優柔不断な私にはむしろ制約が多い方がやりやすいのではと薄々思った。
新人と会う前、私はとても緊張していた。台本の方向性は定まらないし、紙面の企画が実行する姿が想像できなくて。内心ではずっと自信がなかった。新人との顔合わせを済ませて何回か稽古したあと、ようやく台本を書こうと思えるようになった。
入団してくれてすぐに、新人にアンケートを取った。
「新人公演に求める目標はどちらですか?」
・サークル員同士の仲が深まり、公演を通して演劇の楽しさを知る
・座組全員が納得できる質の作品をお客様に提供できる
・特になし
結果は半々。この結果を見た時に、あー私、どっちもサボれないなーやべーと思った。とりあえず新人が楽しんでくれること、いい作品を届けようという努力は忘れないことを胸に刻んだ。
「新人公演だからクオリティはそんなに求めなくてもいい」
多方から言われた言葉。でも本質は少し違う。
今回の公演が初演技だった人も多かった。そんな中でチケット代取っている劇団と比較して「演技下手!」って言うのは的外れである。でも、「あなたは新人だから下手でも大丈夫!」というのは、役者に真剣に取り組む人間に対しての侮辱の言葉になる。いいものを作ろうとする姿勢がないと、何事もつまらないものになる。いいものを作ろうとして、結局失敗してもそれは財産だが、最初からいいものを作ろうとしないのは論外。その意識だけはあった。
私は間近で成長を見ていたから、本番は上手くなったなあと思って見てしまったが、やはり初見のお客さんはそう甘くない。それは各々の自覚もあるだろうから、今後経験を積んで磨いていく部分だな。
今回の公演、自分的には脚本の芸術点は低い。後半はプランなしで焦って書いて、細かい描写やストーリーの取捨選択を怠っていたから。しかし演出のつけ方はよかった。新人の意見を引き出して物語に取り込めた。教える側/教えられる側ではない関係性で、同じ稽古場の一員として平等に接した。脚本の設定を長い時間使って話し合うこともしょっちゅうで、本当にこれでいいのか?と不安を隠さず伝えて稽古場のみんなで解決策を考えた。私は新人担当向きの性格だったし、相手が新人でなければできなかった。
とはいっても脚本の出来を指摘されると悔しいもので...。くるめる新人担当のまおすけとしては悔いない公演だったけれど、脚本・演出の関口真生としては未熟さを思い知った公演となった。新人公演という枠組みに何度も助けられたし、その代わりに我慢したこともあった。
そして主宰。今回はたくさんのわがままを叶えた。観劇制度と支援金。特に支援金に関して、今でも思うことが色々ある。「他のサークルは実費なんだぜ」「毎年恒例なんだぜ」ってのは押し付けがましいけど、そう見てしまうのも仕方ない(実際そうだし)コンペの時から「新人に高いノルマを払わせるなら主宰はやりません」とゴリ押しし、吟味する前に見切り発車でスタートしたのが支援金。反省は多いし、色々ご意見頂戴しまして、問題点も見つかったので多分二度とやらない…。でも新人に返せた金額を見れば、やったことに後悔はない。
幼い子供が誕生日プレゼントに絵の具をもらったことをきっかけに絵を描きはじめるように、姉のお下がりのバイオリンで演奏するように、最初のきっかけというのは自発的ではなく急に舞い降りるものであったりする。今回のノルマ分の金額は支援者からの大きなプレゼントで、この初回のプレゼントを元に新たなチャンスを掴むことができる。継続的ではないかもしれないが、ないよりずっといい。
私はこれから何をしよう。既に決まっている用事の他にも、新人担当の経験を活かして演劇を伝えたり教えたりすることもしてみたい。演劇批評ももう少しやってみたい。自分の進路を考える上でもいい経験をさせてもらった。荷が降りた今なら身体が軽くてどこへでも行ける気がする。団体や役割を抜きにして、関口真生が今後何をすべきなのかをじっくり考える期間に入るのだろう。
後輩たちは「くるめるがふるさとになりそうです」と言ってくれたけど、私はどこをふるさと(心の拠り所)にすれば良いのやら。この忙しくて何も考えられない日常の中で「ふるさと」を探すのは、おもちゃ箱の中から小さなパズルピースを取り出すくらい難しい。
私はどこの土になるのかな。自分の骨を埋めたいと思う場所は見つかるのかな。
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