見出し画像

あれは勘違いではなく思い込みだった

日本語はむずかしい。
似たようなことばが数多く存在し、微妙な違いを見落としてしまうことがある。
たとえば、ビジネスメールでよく使われる「ご教示ください」や「ご教授ください」、あるいは「間違いです」や「誤りです」など。

本来であれば文脈によって使い分ける必要があるにも関わらず、なんとなくで画面に文字を打ち込んでしまっている。
特別な業界でない限り、社会に出てから文法やことばの正しい使い方を学ぶ機会はほとんどないだろう。ぼくだってそうだ。

そんなことを考えていたら、ある2つのことばが思い浮かんできた。
「勘違い」と「思い込み」だ。
この2つのことばは、辞書ではこのように書かれている。

【勘違い】
間違って思い込むこと。思い違い。

【思い込み】
深く信じこむこと。また、固く心に決めること。

出典:デジタル大辞泉(小学館)

この2つのことばは、日常会話でもよくあるように、「集合時間は12時だと勘違いしてた」「集合時間は12時だと思い込んでた」といった使い方をされることがある。
どちらも「誤った認識」を指すことばだが、意味や使い方には違いがある。

この「勘違い」と「思い込み」ということばを印象づける出来事が過去にあったので、ここでお話をしようと思う。

あれはたしか、中学3年生のときだった。
ある日、同じクラスのYくんが、別のクラスのAさんに告白しようと思っていると、ぼくに相談をしてきた。Yくんとは特別に仲がよかったわけでもなかったので、なんでぼくに相談をしてきたのかはよくわからなかった。
そのときは深く考えずにとりあえず話を聞くことにした。

すると、Yくんはなぜか自分で直接告白するのではなく、ぼくにAさんに手紙を渡してほしいと頼んできたのだ。
ふだんは強気な態度をとっていたYくん。同じクラスの男子には強い口調で接する一方で、女子に対してはどうやら免疫がないようだった。

男なら自分の口から言えよ、と思ったので引き受けるつもりはなかったのだが、なんだかんだあって手紙を渡す役目を負うことになった。
しかも、Aさんとはほとんどしゃべったことがなかった。

そんな状況の中でぼくは役目を果たした。
Yくんからの手紙をしっかりとAさんに手渡した。そのことを本人に伝えると、ホッとした表情をしていた。
その後、Yくんは返事をもらうためにAさんと会うことになった。

Aさんからは「手紙ありがとう、うれしい」と言われたみたいで、Yくんはすごくよろこんでいた。気持ちは伝わった。
明日からの学校生活が変わる、いままで以上に楽しい日々になる、そう思ったに違いない。
手紙を渡してよかったなと思った。

それから数日して、教室でYくんに声をかけられた。
「Aさんからなにも連絡がないんやけど、どうしたらいいやろか」と。
おいおい。それぐらいは考えろよと。
心配そうな顔をするYくんに、自分から連絡すればいいと答えた。

その日の夕方だった。
学校が終わって家に帰るとYくんから電話がかかってきた。
なんだろうと思いながら電話を手に取ると、受話器の向こうでYくんは、ぼくにこう言った。





「おれ、Aさんと付き合ってなかったみたい」。


頭の中が、はてなで一杯になった。
Yくんはこう続けた。
「Aさんと話をしたんやけど、付き合うなんて言ってないよって言われた」。


ちょっと待て。
OKをもらったんじゃなかったのか?
そういえば、そういう話になったとまでは聞いていなかった。ただ、YくんはAさんから「手紙ありがとう、うれしい」って言われたとはしゃいでいた。

おそらく、手紙には相手のことが好きだとかなんだとか書かれていたんだと思う。もしかしたらポエムみたいなことを書いていたのかもしれない。

Yくんから手紙を預かったとき、プライバシーの問題もあるので中身は見ていないが、自分の気持ちを綴ったものであったことは間違いないはず。
さすがに自己紹介なんかは書いていないだろう。

正直な話、当時は自分のことではなかったこともあり、あまり真剣に考えてもいなかったので、手紙の返事をもらった話についてはそこまで深く聞かなかった。すまん、Yくん。
なので、OKをもらってふたりは結ばれたと勝手に思っていた。

だが、実際には違った。
Yくんは「勘違い」していたのだ。
もとい、「思い込んで」いたのだ。
自分の好きな相手に「手紙ありがとう、うれしい」と言われたことで、相手も自分のことが好きだと思い込んでしまったのだ。
そう信じて疑わなかったのだ。

だからYくんは「両思い」であることを確信して、お付き合いをはじめることになったと思い至ったのだ。


壮絶な勘違い、思い込みがここにはあった。
いや、ここでは「思い込み」のことばだけを使いたい。
Yくんはみずからの思いを信じて疑わなかったからだ。
強く、深く。
実際にそれはただの激しい「思い込み」に過ぎなかった。

そのことにぼくは気づかせてあげられなかった。
正しく認識させてあげられなかった。
勘違いではなく思い込み。
こうしてYくんのバラ色の日々は、いとも簡単に枯れてしまったのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?