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うちの母親のはなし

母が、ある日壊れてしまった。
壊れたという表現が正しいのか、間違っているのかはわからない。

我が家の生活はある日突然一変したのだ。

2月初旬の終わりごろ。
私が住む地域は、雪が降り始めるばかりの日だった。
母の様子が変だと、同居する祖母から聞いた。
「近所の人から悪口を言われている。」
「このままじゃここに住むことができない。」
なんで、そんなことを・・・と思いつつ、出勤の前に連絡を取った。

誰かの声がして、外から悪口を言われている。
この騒ぎじゃこのままここに住むなんてできない。と母が唱えていた。
すでに幻覚と幻聴を見ている状態になっていたのだ。

この日を境に母は、日に日に壊れていった。
雪がふる夜に、勤務先の先生が来ているから会ってくると飛び出したり、
家中にカメラが隠されていて、全国ネットで発信されていると言ったり、
家が売りに出ていると言ったり、
ここに書ききれないほど母の言動はどんどん変わっていった。

私も父もどこまで止めるべきなのか、どうしたらいいのかどんどん悩んで、
苦しくなっていた。
母は目の前できっとくるしんでいるのに。
何も助けることができない、自分に嫌気がさした。
家の外に出る母を必死で止めて、あちらこちらに電話を掛けるのを止めて、
時々生傷を作りながら、生活をしている。

家族で相談し、母を病院に連れていくことにした。

先生は母につらかったね、ちょっと楽にしてあげるよと、
優しく声をかけてくれた。
時間をかけて治していこうと思った。

しかし、母はなぜか薬を決められた通り飲んでくれない。
行動はエスカレートするばかりで、なかなか良くなってくれない…

主治医の先生に入院も視野に入れたいと相談し、
次回の診察の際に言ってもらう手筈を整えた。
さて入院になるのかと思っていた矢先、
母の状態がどんどん良くなってきていた。

ストレスの原因の1つだった仕事を退職し、
大学生で離れて暮らしていた弟が家に戻ってきたからかもしれない。
強い薬を出してもらって、それを飲ませて、それが効いたからかもしれない。
なにが原因かは分からないが、そこからどんどん調子は良くなってきていた。

お薬もちゃんと飲めるようになってきたし、状態も良くなってきてはいるので、1人だけにすることも少しずつ可能になってきている。
ほんとうにありがたい。

今回のことを通しておもったことがある。

この症状は、本人だけでなく家族も苦しい。
むしろ家族の方が先に崩壊すると思った。

1人にできない。
放っておけない。

これがどれだけ大変で、難しいことなんだろう。
周りの人からいくら「無理しないで。大変だね。」と言われたところで、無理しないでやる方法なんてない。

無理しなくていいなら、こんなに悩んでないとすごく思った。

周りから言われる言葉に想像がついていたから、
本当に限られた人には今回の話はしなかった。
むしろ、変わらず接してくれるのが有難かった。

同居する祖父母は、変わり果てた娘の姿にどうしてこんなになってしまったのかと嘆き、なんでするんだろうねとことある事に話していた。

そんなこと分かっていたら、やっていないし、
そもそもそういうことを考えられるような状態じゃないんだよと言ってもわかってもらえず、それが1番辛かった。
こういう病気は風邪とは違うから、
すぐに良くなるかなんて確証はない。

人それぞれだから、どう向き合うのが正解かなんてこともない。

私自身、他の人の話を聞きたくて、いろんな方のブログや記事を読んだ。
みんなそれぞれがそれぞれの向き合い方で、目の前のことに取り組んでいるんだと思うと、気持ちが楽になった。

私と母の向き合い方が誰かの助けになるのかもと思ってこれを書いている。

実際になにをしたのかについては、こちらに書いてみましたので、よければ読んでいただけたら嬉しいです。


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