この一年で、広い意味でのドール沼にはまったらしい
この記事を書いてから、そしてドールをお向かえしてから約一年が経とうとしている。このご時世もあって、時間の流れがとてもはやく感じた。
出会いがヤフオク! であったこと、お取引の後にとあるメッセージから、厄介なトラブルが起きてしまったこと(過去の記事には書かなかったのですが、たまたま起きてしまったのでした。なんとか解決できました)、けっして安くはない買い物だったこと(値引き交渉でも7万円。過去イベントで販売されていた子を手に入れるというのは、プレミア価格でのお取引を覚悟しなければなりません。そのためこだわりがなければ、新品でちゃんと店頭で確認の上で購入するのが一番だと私は思います)もあり、最初のうちは特に「私、この子と仲良くなれるかなぁ。もしかしてすぐに手放した方がいいのかもしれない」なんて思っていた。
でも付き合ううちにやっぱり愛おしくなって、今は堂々とは言えないが「うちのこかわいい」とは思えるぐらいにはなった。ちなみに便宜上「うちのこ」という表現をしているが、私にとってドールは、居候って感じである。
ドールの方も、単に写真の撮り方が慣れてきただけだろうが、穏やかな表情をするようになった、気がする。その判断は見ている人にお任せしたい。
2020年3月31日撮影
2021年1月19日撮影
と、前置きが長くなってしまった。
「ドールはドールを呼ぶ」
そんな言葉を聞いたことがある人は、それなりのドール沼にいる人かもしれない。
簡単に言えば、ドールを所有すると、さらにドールがほしくなって、いつのまにか増えていることをさす現象だ。
私もその衝動に、特に最初のうちは悩んだ。男性や男の子もいいな。でもお洋服代がかかるか。なら同じ身長サイズの女の子で、友達にするのはどうだろう。と。そのたびに、懐が寒いのでなんとか回避できたが、もし自分がお金持ちで広い家に住んでいたらどうなっていたのだろうか……。ちなみに今でもそういう衝動に駆られる。もうそれは仕方ないことだろう。
だが最近、私はあることに気がついた。
「最近、ぬいぐるみのお迎え増えたな」
これが証拠である。羊や集英社文庫のナツイチキャンペーンで当選したハチ、それとここには映っていない大きな黄緑色のかえる『かえるのピクルス』は元々家にいたが、それ以外は、家族がお迎えした子を除けば(ポケモンやポムポムプリンがそれにあたる)、福袋ならぬ福箱で一気に増えた。
また推しのキャラクターぬいぐるみも、幸運なことに懸賞で手に入れたものが以前から家にいたが、去年ついに自分で購入した。
『おそ松さん』の松野おそ松である。
なんで女の子の恰好をしているのか。それは気にしてはいけない。
スターシステムっていうか、彼らは一種の役者であるから、女の子の恰好をしたグッズがいきなり出ても、驚いてはいけない。あぁ、またやっている。と思えばいいのだ。
私はその恰好にときめいて、つい買ってしまった。普通の二次元男性だとありえない光景だろう。
そして、また別の子もお迎えした。ムック本って、何も知らない人にとって手に入れやすくてとっつきやすいから、油断するといつの間に買っているのが怖いと思う。
シルバニアファミリーだ。
昔、同じ本を書店で見かけた時は、ドールとかにそれほど興味がなかったので「買っても、持て余すだろうな」と思い、買うのをやめていた子だ。
その子が気になって、わざわざ宝島社のウェブサイトで購入した。
さらにまた、小学館から発売されている別のムック本で、別のシルバニアファミリーの女の子が来ることになっている。
これは。厳密にいえばカテゴリーが違うが、私はドール沼にいることになるのではないのだろうか。
それがドールかぬいぐるみかの違いはあれど「この子と一緒にどこかへ行きたい」「この子の着せ替えをしたい」「この子の写真を撮りたい」「この子と一緒にいたい」という気持ちでお迎えすれば、温泉でいえば性質が違えど温泉に浸かるという行為をしているのではないだろうか。
それに気がついた時、自分も沼にハマった、と自覚した。
お金には限りはある。
ドール以外にも興味のあることがある。
生きるにはお金が必要だ。
だからドールやぬいぐるみばかりにお金をかけてはいられない。
でも、楽しい。飽きるまでは続けてみたい。
そう諦めの境地に立ったら、気が楽になった。
このご時世だから、どうしてもお家時間が増える。
そんな時は、ドールでもぬいぐるみでもなんでもいい。
自分や家族、または他人とは違った存在をお迎えして、一緒に過ごしてみてはいかがだろか。
沼の住民として、それを待っている。
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