プレゼンテーション1

『○○病』持ちでも気軽にお店に行けたら、きっとウィンウィン

 「この頭を見たら、『相手』はどう思うかなぁ」

 なんでこのような疑問が出てくるのか。
 はっきりと言おう。
 理由は、抗がん剤治療の副作用で、髪が抜けて、禿げ気味だったり坊主頭になったりするからだ。
 このことは、10年ぐらいがんを治療したり、再発しないか経過観察したりしていた自分にとっては、「最初は」ショックだった。
 ぼろぼろと抜ける髪の毛。
 その現象自体は、色々な治療を試すなかで何度か見た光景だったから、特に問題はなかった。
 だが今回の場合は、珍しく抗がん剤の効果があわられた反面(ちなみにこれで結果が出なければ、いくら名医でも頭を抱える事態に直面する出来事らしい)、テレビなどのメディアで見かけるようなぐらいに脱毛することとなった。私の場合は、それでも頭部だけがひどく、眉毛などはまだ残っており、投薬を中止すると髪が生えてくるという、幸運な状態であるが。
 脱毛は、私の場合は、これまた慣れたり、家族にたわいもない言葉をかけてもらったりして「まぁ、こんなもんかな。正直、ウィッグの方がヘアアレンジしやすくて楽しいし。禿げ頭自体、じろじろ見られなければ、問題はないし」と思える人間だった。

 でも、こんな気持ちでいられる人は、まず珍しい、と思う。
 また、経験者やそういう人に接したことがある方ならいいが、世の中の人みんながそういう人であることは、まずはありえないだろう。
 だから、「私は」気にしないで行動しても、中にはつい、そんな脱毛している人と距離をとってしまう方だっている(残念ながら、一度そういう体験をした。逆になぜか「その帽子、素敵ですね」と声をかけられたことがある。人って本当に様々な反応をするものだ)。
 また、普段はざっくりしている家族でも、出かける時は「帽子で出かけるの? ウィッグつければいいのに」と声をかけることがある。
 「私は」大丈夫でも、「相手は」どう感じるのだろう。
 大人になったから、さすがにそういう、周りの目線を意識するようになった。

 で、ここからが本題。
 私の場合は「がん」で「脱毛」持ちだ。
 そのせいで、公共浴場や普通の美容院など、物理的には行けなくないが心理的におっくうになってしまうお出かけ先が出てきてしまう。
 だからといって、目的ごとにいちいち、ここなら問題なく行っても良い場所を探したりサービスを見つけたりするのは、至難の業であり、また気苦労をする。
 この感覚、もしかして、病気でなんらかのハンデ、あるいは外見上の癖がある人は、みんな持ったことがある気持ちなのではないか、と思った。
 『○○病』の人でも大丈夫ですよ!
 それをうたっているところがあってもいいし、それをアピールすることはとても助かる。
 でも、世の中には、数えきれないほどの病気があり、またそれによって、多種多様な副作用が発生していることだろう。
 そう思いをはせると、できる分野からでいいから「健康な人でも、今たまたま病気がある人でも、どちらも利用しやすい場所やサービス」がもっと増えてほしいな、と考えた。
 一番良いのは、各々の病に対して、きめ細やかな対応ができることなのかもしれない。
 でもそのせいで、逆に、健康な人と病がある人の間に境目ができてしまったら、それは「共生している」といえるのだろうか。

 人間のできることには、各々に限度がある。
 それに対して、病気やその副作用は実に種類が多い。
 すべてのケースにきめ細やかに対応するなんて、少なくともこの先10年ぐらいでは解決できないと思う。
 だったら。せめて。
 少しでも「みんな、ウェルカム!」な場所やサービスが増えてほしいなと切に思う。
 少なくとも私は、自分の病気に関して打ち明けることは、ある程度は抵抗がないから、もし情報などが欲しければ、お手伝いができます。

 思ったことをつらつらと述べたから、まとまりのない文章になりましたが、ここに書いてあることが理解できて、共感して、そして考え方や行動が変化したら、それが一番嬉しいです。

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