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Funeral for EVANGELION


「おまえはミサトだ」

男の手が背中にまわるのを感じながら、わたしはその言葉を聞いていた。
身体の力が心地よく抜けてゆく。
耳元に響くその声のトーンを今も鮮明に覚えている。
「いつも明るく笑っているくせに、心の底に誰にも言えない闇を持っている、おまえはミサトだ」
男がそう言った。
だからミサトが好きだった。
個人的には綾波レイも大好きだったけど。
すごくすごく長いあいだ、わたしは「わたしはミサトに似ている」と思い込んでいたのだ。

これこそエヴァの呪縛。

「シン・エヴァンゲリオン」の中では加持さんはなくなっていた。
忘形見の子供を残して、ミサトのパートナーだった加持はいなかった。

あ、そうか!
男は自分と加持さんを重ね合わせていたのだ。どこか共通する感覚があったのだろう。
そしてわたしはその付属品として「ミサトに似ている」という言葉を与えられていたのだ。

映画のとちゅうで、いきなりそのことに気づいた。
サヨナラ加持さん。サヨナラ昔すごく好きだった彼。
「わたしあの人と寝ます!」といきなり若い女がやってきて、何が何かわからないままにすごく傷ついたよね。
サヨナラ傷つくことしかできなかったわたし。

さあ、これでもうわたしはミサトである必要がなくなった。

冒頭。ひとつひとつの「言葉の意味を確認するアヤナミレイの声」に心地よい再生の夢をみた。
世界はかくも「おまじないの言葉」が溢れていたんだね。
人間は言葉と感情と仲良しだけれど、それをすべて操ることはできない。
だから、たくさんの「おまじないの言葉」を唱えるんだけど。

かなわないこともあるんだよね。サヨナラ、アヤナミレイ。

四半世紀にわたって、いろんな意味でわたしの中にあったエヴァンゲリオン。
中には意味不明のところもあったりドロップアウトしたところもあったけれど。

エヴァ的な使命。エヴァ的なアダルトチャイルド。エヴァ的な「自分以外の大切なもの」。
そんなすべてのものにサヨナラするために、この映画を見たような気がした。

いつまでもいつまでも同じものを大事に掌に抱えているうちに、世界が変わり、自分が変わってゆく。
そのことにうすうす気づいているのに掌に握りしめたものを捨てるタイミングが来ないままに、握りしめたものの輝きだけが色あせてゆく。
それはけっこうつらいものだ。

さよならエヴァンゲリオン。

固く握り締めた掌をほどこう。空気の粒子となって、どこかへ散らばってゆけ。

R.I.P.エヴァンゲリオン


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